2019/03/04〜03/19ポルトガル・スペイン旅④リスボン観光と国立アズレージョ博物館
前回はこちら↓
前回の記事が長くなりましたが、同じ日の2019年3月6日に起きていることです。
同日3月6日にベレンの街を観光したあと、電車に乗ってリスボン市内へと戻ってきました。
左下青丸のベレンから近郊列車で戻ると、Cais do Sodre駅が終着駅となります。
そこから、リスボン市内の観光をスタートすることにしました。
駅を降りるとやはりテージョ川が見えます。
テージョ川沿いを進んでいくと突然、謎のアート作品に出会いました。
唐突に目の前に現れた、素朴な味わいのアート作品に首を傾げていると、どこかより象徴的なこちらのオブジェ?アート作品?にも出会いました。門のようです。
先ほどのカラフルなアート作品と比べると、こちらの謎の門のような建造物はどこか歴史を感じさせます。
地図で見てみると、名前もついており、史跡とされています。その名もCais das Colunas。
こちらのCais das Colunas カイス・ダス・コルーナス。1755年にリスボンを襲った大震災のあとに建築家であるEugenio dos Santosによって設計されました。
二本の円柱は「ソロモン王」の神殿の知恵と献身を表現しているとか。1957年にエリザベス2世がリスボンを訪れた際にも、ここから船で上陸したとされているようです。
この二本の円柱Cais das Colunasを見てから、後ろを振り向くと、大きな広場「コメルシオ広場」があります。
こちらのコメルシオ広場も先ほどの二本の円柱と同じ建築家によって、時を同じくして設立されました。
コメルシオ広場は別名「王宮の広場 Terreiro do Paco」と呼ばれているそうです。リスボン大震災が起こる前にはここにはリベイラ宮殿と呼ばれる宮殿があり、船でリスボンに上陸した身分の高い人々が最初に足を踏み入れる玄関口として機能していたようです。
広場では、撮影をしている観光客もいれば、路上演奏をしているミュージシャン、地元のカップルなど様々な人の集まる、今では憩いの場として機能しているようでした。
このコメルシオ広場から一番近い観光スポット、「サンタ・ジュスタのエレベーター(リフト)Elevador de Santa Justa」というところに行ってみたいと思います。どうやら、高いところからリスボン全体を見渡せるようです。
地図で見てもコメルシオ広場から近いですね。
このエレベータの高さは45メートル。鉄骨製のネオ・ゴシック様式で造られているそうです。設計したのはあのパリのエッフェル塔を建築したエッフェルの弟子、ルイス・レイナルドが担当したとか。
塔の内部には木製のエレベータがあり、完工当時は蒸気で動いていたそうですが後ほど電気稼働に変えられたと。
2002年には国の固定記念物として指定されたとか。
そんな歴史のある、リスボン内の低地であるバイシャ地区と、高地であるバイロ・アルト地区をつなぐ市民の足としても機能していたエレベータ。どんなもんかとワクワクしながら足を運びました。
え、なんかこう言ってはなんですがショボい。
地味です。
街並みに溶けこんでいるからか、周囲の建物と高さがそんなに変わらないからか、なんだか想像していたものよりも、なんというか、ショボい。
結局、エレベータには乗りませんでした。これに乗るためにお金をかけるより、エレベーターよりも高い場所にある「サン・ジョルジェ城」までのぼってみて、そこからの景色を楽しむことにしました。
ということで、目的地をサン・ジョルジェ城へと変更しました。
そんなこんなで、階段道の多い通りをえっちらおっちらのぼっていたら、サン・ジョルジェ城にたどり着きました。
サン・ジョルジェ城はかつて、古代ローマ時代には要塞として建設されたのがはじまりとされています。
その後、イスラム教徒、キリスト教徒などと数百年、時代の変遷と共に城の居住者も変わっていき、14世紀から16世紀にかけては歴代のポルトガル王の王宮として機能していました。
今では、城内は公園として開かれており、リスボンの街並みが高いところから一望できたり、孔雀が歩いていたりするらしいです。なぜ、「らしい」のかというと、城内に入るには料金が必要で且つクレジットカード払いができないので入らなかったからです。
我ながらケチくさいですが、公園に金払うのもなんだかな、と思ったのと、城内に入らなくても良い展望が見込めるスポットが近くにあったからです。
こちらがサン・ジョルジェ城(の近く)からの展望、リスボンの街並みです。
ここでしばらくリスボンの街並みを上から眺めていたら、横にいた男女カップルが「あそこの中国人、ひとりで来てるわ、プププ(笑)」みたいな会話をしていました。周囲にアジア系の人がそのとき居なかったので間違いなく、私のことです。指で目を引っ張って細くして、いわゆるアジア人を揶揄するあのテンプレジェスチャーもしていました。
英語なら伝わらないとでも思ったのでしょうか。こちとら英語ならペラペラ(仮)じゃい。中国人じゃなくて日本人だし、舐めてんじゃねえぞこの野郎。
ヘテロセクシュアル同士、白人カップルでprivillageまみれのくせに、などと色んな感情が湧いてきましたが、何もせず、黙ってリスボンの街並みを見ていました。私は無力です。人間って...。
独りのゲイのアジア人の旅人にも、テージョ川の湿り気と香りをわずかに帯びたリスボンの空気は優しく、あたたかでした。
さて、次なる目的はアズレージョ美術館です。ポルトガルはアズレージョで有名なのです。
アズレージョAzulejoとは、いわゆるタイルのことです。
青色のタイル装飾で有名で、「青」を意味する「AZUL」からアズレージョ、という名前がきている噂ですが、このwebページによるともっと昔から、様々な地と文化を経由してアズレージョという言葉と文化ができたようです。
リスボンには、そんなアズレージョをメインにしたアズレージョ美術館があると知り、行ってみることにしました。私は美術館や博物館が好きです。
その名も「国立アズレージョ美術館 Museu Nacional do Azulejo」。
リスボンの中心地からは結構離れた場所にあります。バスの停車場が美術館の入り口近くにあったので、もし行かれる場合はバスを使うといいかと思われます。ケチな私はリスボン中心地から徒歩で向かいました。結構、遠かったです。
こちらの国立アズレージョ美術館、もともとは、16世紀に建設されたマドレ・デ・デウス修道院を改築した建物らしく、アズレージョの展示とは別に礼拝堂も残っています。カフェなども併設されていました。
中に入ってみましょう。
説明がポルトガル語だったので理解に時間がかかりますし、一部わからないものもありましたがアズレージョの歴史や、作り方、種類の豊富さなどは知ることができました。
タイル、と聞くとのっぺりした平たい印象を受けますが、アズレージョは凹凸も効いた芸術作品の形をとっているようです。真横からみたときと、斜めからみたとき、正面から見たときで印象が変わるのがアズレージョの魅力のひとつと言ってもいいかもしれません。
私の好きなポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアを描いたアズレージョ作品も展示されていました。
ペソアは作風も独特です。好きな彼の作品の一部を引用しますね。
"わたしは痛ましい思いで" by フェルナンド・ペソア(池上岺夫訳)
わたしは痛ましい思いで星々を眺める、
はるか遠い昔から輝いて。
はるか遠い昔から......
わたしは痛ましい思いで眺める。
事物は
それがどのようなものであれ
疲れることがないのか、
脚や腕が疲れるように。
存在することの疲れ
在ることの疲れ
ただ在ることの疲れ
淋しい存在は輝くか それとも微笑んで......
存在する事物にとって
在るのは
死ではなく そう
別種の終末ではないのか
さもなくば大いなる理由ー
なにか赦しにも似た
なにものかではないのか。
アズレージョの展示も十分見応えのあるものでしたが、前述の通り、もと修道院だった建物ですので礼拝堂があります。
意外と、その礼拝堂も見応えがありました。アズレージョ細工も見事です。
金の装飾が凄みを増幅させていますね。
青と白のアズレージョと、金色の装飾と石造りの床や柱がマッチしていて、こんな意外なところにこんなに豊かな礼拝堂が残っているとは、という感想です。
展示品だけでなく、礼拝堂も見応えのある、良い美術館でした。おすすめです。
併設のカフェでコーヒーを飲んで休憩しました。
もう夕暮れです、カフェで休憩しながらgoogleマップを見てると近くにスーパーがあったので、自炊用の食材を調達してから宿に帰ろうと決めました。
そんなこんなで、前回の記事のベレン観光と合わせて、1日でリスボンの街並みとアズレージョを堪能しました。良い1日の過ごし方だったと言えるでしょう。
ベレンに行ったり、リスボンのあちこちを全て徒歩で周ったので、疲れ果ててしまったのか宿に着いた瞬間に寝ました。
明日は、「地獄の口」に行って散々な目にあいます。
つづく