2017/02/25,26ドイツ旅行③ケルンとアーヘン
ドイツ旅行その②は↓
10:44にブレーメンの中央駅から電車(IC特急)に乗り込み、次の街ことケルンへ向かいました。
ハンブルク→ブレーメンのときと同じくFlixBusという高速バスを使いたかったのですが、ブレーメンからケルンへ走っている路線が当時見つからなかったのです。
電車内の様相はいたって普通。日本と同じように手前に折りたためる小さなテーブルがあります。
旅行に行く時はいつも、荷物になるのに持っていく村上春樹の『遠い太鼓』。2021年のいま、もはやボロボロになっています。車窓の風景は曇っててやや霧がかっていて大して見るものもないなあと思っていましたのでずっと本を読んでいました。
本を読んでいると「ヴァッサ〜、ヴァッサ〜」という声が聞こえてきます。車内販売のようで、ワゴンを押しながらヴァッサヴァッサとひとが通路を近づいてきます。なんでしょう。見たところ、お菓子や軽食などがワゴンに乗っているようでしたが、ヴァッサの意味はわかりませんでした。
日本に帰ってから、ドイツ旅行のブログ記事を色々読んでいて謎は解けました。ドイツ語でWasser=水、だったのです。
13:47。ケルン中央駅に到着しました。
実はケルン訪問の目的であるケルン大聖堂は中央駅のほぼ真向かいにあります。つまり、電車を降りて駅を出ればもうそこはケルン大聖堂なのです。
しかし、弱って疲れていた私はとりあえず先にホテルへ向かいました。
今回ケルンで2泊するのはHotel Bergという名のホステルです。
よっぽど疲れていたのか室内の写真が一枚もありません。なぜか、ホテルの部屋の鍵の写真だけが残っていました。
一応個室でしたが、ベッドと小さな洗面台と小さい窓のある屋根裏部屋のような部屋でした。天井が傾斜がかっていたので本当に屋根裏部屋的ポジションだったのかもしれません。トイレシャワーは他の人と共同で、廊下の奥にありました。驚いたのは部屋の壁の薄さ。ベニヤ板か?と思うくらいの薄さでした。
きっと有事の際にすぐに蹴破れるようにこうなんだろうと思い直して、荷物を置き、あたりの散策に行きました。
さて、散策ですが記憶がありません。かなり風邪が悪化していたのです。予定では、ケルンに着いたらまず大聖堂を見て、香水博物館に行き、ヴァルラーフ・リヒャルツ美術館というところに行くつもりでした。
おぼろげな記憶を辿ると、宿の近くの街並みを見て周り、スーパーで夕飯を買った。それだけを覚えています。その証拠に、2月25日の写真は、前述の電車の写真とホテルの鍵の写真、そしてこの写真しかありません。
付属のザラメをかけると表面が炙ったように変色するクリームブリュレの写真です。どうだ。普通においしかったです。
あとは、アジアンスーパーにも行った気がします。
以上。2月25日の思い出でした。何もしてねえ。移動しかしてねえ。
明けて2月26日。
朝食付きのホステルでした。薄暗い小部屋にビュッフェ?形式にミートボールやハムやらチーズ、パンが置かれていて、自由にとって食べる形式でした。薄暗い部屋で。なんだかこのホステル、私の部屋だけじゃなくて全体的にずっと薄暗いな。
朝食会場の外に食品を持ち去ってはいけないと注意書きがありましたが、こちとら節約旅人の身。かつNINJAを生み出したSHINOBIの国から来たジャパニーズなのでナプキンにこっそりパンやら蜂蜜やらハムチーズやらを包んで一度部屋に持ち帰りました。サンドイッチにして昼食にしようと思ったのです。良い子は真似してはいけません。だって、私の他に客が見当たらなかったし、食糧が大量に余っていたのだもの。
さて、予定では25日にケルン観光し、26日にケルンから隣町アーヘンに電車で行きアーヘンを観光するといった運びでした。しかし25日を無為に過ごしてしまったので今日26日にぎゅぎゅっと両者を観光しなければなりません。
まずは、ケルンの大聖堂へ。
前述の通り、ケルン中央駅の真正面に大聖堂はあるのでまずは中央駅を超えていきます。
仮装している人が広場にたむろっているのにお気づきでしょうか。後述します。
そして振り返れば有名なケルンの大聖堂。
ケルン大聖堂は完成するまでに600年以上もかかった、世界最大級のゴシック建築の聖堂です。
まずその大きさに圧倒されました。高さが約157メートル、横幅は約145メートルといいますから数字で表しても確かに巨大です。
ただ巨大なだけではありません。柵やらなんやらがあって見づらいですが、近寄ってみるとかなり細かな装飾が施されているのがわかります。
こんなに細かな装飾を、こんなにたくさんの量、人の手で作ったと言われてしまうと気が遠くなってしまいます。そりゃ600年かかるわという風情です。
早速内部にも入ってみましょう。
観光名所とあって、ひとでごった返しています。また、ツアーの団体客も多く、各国の言語での説明を読み上げる声が交錯しており、こころおだやかにはなれませんでした。
天井の高さも、外から見た想像通り相当の高さです。こんなところで聖歌隊が合唱なんかしたらきっとそれはそれは良い響きでしょう。私の左右では中国語と日本語でのツアーガイドの声が合唱していましたが。
壁面に施されたステンドグラス画も見事です。かなりの大きさです。人混みがすごくて近寄れませんでしたが、遠くから見ても迫力を感じる大きさとデザインの繊細さでした。
さて、このあたりで私、気づいてしまいます。
ケルン大聖堂前の広場の人混み。地面に散らばる紙吹雪のなごり。ところどころに落ちている割れたビール瓶の破片。そして、仮装している人々。
すごい人の量なのです。ただ観光名所だからだけでなく、仮装している人ばかりです。
実は、以前のブログにも書きましたが今ここ西ドイツではカーニバル期間なのです。
「薔薇の月曜日 Rosenmontag」と呼ばれるこのカーニバルは毎年2月のこの時期に西ドイツで行われるお祭りで、町中を仮装した人々が占拠し、パレードが練り歩き、お菓子が空中を飛び交いばらまかれる、そんな期間なのです。
ケルンは商業都市、いわゆる都会で国際的な書籍の展示会なども開催されるとか聞いていたのでそういうオフィス街やビジネス的なイメージをもっていましたが、いざ来てみると、路上には酔っ払いの吐瀉物のなごりや、へこんだ酒の空き缶ばかりが目につきます。
ケルン大聖堂自体は歴史を感じる素敵な場所でした。しかし、人混みと騒ぎごとが苦手な私は一度宿に戻り、隣町のアーヘンに日帰りで行くことにしました。アーヘンにも有名な大聖堂があるのです。
陰気な宿の人に、ケルンはいつもこうなのかと聞いたら、カーニバルの期間だけ、ドイツ人はこうなるしドイツの街は汚れるんだ、と返事が返ってきました。いつもは違うんだよ、すまないね、と私に言う小太りな丸いフォルムのおじさまが急に愛しく見えてきます。
さて、ケルンからアーヘンまでは中央駅から電車で1時間程度で行くことができますのでぜひセットでいかれることをおすすめします。
人混みから逃げるように、アーヘンについたのは午後1:00頃でした。
アーヘン中央駅手前、見えますでしょうか軍隊らしき格好をした集団。このあと、ブラスバンドの演奏とともにパレードがなんともちょうど良いタイミングではじまりました。たった電車で一時間離れたところでドイツ人のパレードからは離れることはできないのです。
アーヘンは世界史の授業でも出てきたフランク王国のカール大帝ゆかりの地なのです。
そのため、カール大帝にまつわる建築物などが多数存在しています。
とりあえずは、パレードのうしろをこっそりと移動しながら市庁舎を目指します。
今でも現役のアーヘン市庁舎です。もともとは、カール大帝の宮殿の一部だったそうですよ。
こちらの前は広場のようになっていて、噴水やベンチがあったりしたのでここで昼食とすることにしました。ホステルからくすねてきたサンドイッチとミカンです。外で食べるとなんでも美味しいね。ひもじくなんかないもんね。いまだドイツでレストランに入ったことはありません。
フランク王国内最大の宮殿が存在していて、発展していったアーヘンの街並みは今でもまるで中世の時代のような建築物が多数残っていました。街の空気感もどことなくよそよそしく、気品のある感じで、住宅地という感じはしませんでした。もちろん、住んでいるひともいるのでしょうけれど。
ケルンの大聖堂もそうでしたが、外観からもその豪華さには息をのむものがあります。豪華という言葉よりも、厳か、という言葉の方が似つかわしいかもしれません。
もともとは小さなマリエン教会という部分だけだったところを増築、増築、また増築したりなんだりして今の豪華さになったようです。外観からだけ見ると、色味も少なく地味ですが、内部が凄かった。ご覧ください。
なんたる豪華さ。きらびやかさ。ステンドグラスなんて私の身長20体分くらいの高さがあるんじゃないでしょうか。
天井もすごいのです。
メインではない通路の天井なんかも緻密で豪華な装飾が施されていて夢中になって何時間もみっぱなしでした。
ベンチがあるので座ったまま、天井部の装飾を落ち着いて堪能できるのがよかったです。どこを何時間も見ても、まだ見ていない部分がありそうなのです。それくらい各所にいちいち異なる装飾があって、いかにカール大帝が豊かな王国を築いたことがうかがえます。
そんなカール大帝はここアーヘン大聖堂に眠っているそうですが、一般の人は入れない場所に埋葬されているそうです。
事前に、アーヘン大聖堂内で写真をとっていると料金を支払わされると聞いていたのですが、私は特に誰にも何も言われなかった記憶があります。ジャパニーズ・ニンジャスキルが活きてしまったのでしょうか、無意識に。
やっぱり外から見ると地味です。裏口のようなところがあり、そこから外へ出ると、そこにはアーヘン大聖堂のミニチュアも展示されていました。
アーヘン大聖堂には宝物館も設立されているそうなのですが、薔薇の月曜日、祝日期間のため閉まっていました。
アーヘン大聖堂を見た後は、アーヘンの街をてくてくと徒歩で散策して周り、また電車でケルンに帰りました。相変わらず時折咳をしながら、水筒に入れたセージティーを飲みながら。
事前に立てた予定表のエクセルを見ると、26日にアーヘン大聖堂を見た後は「薔薇の月曜日をエンジョイする」と書いてありましたが、体調が最悪だった私はホテルに帰ってシャワーを浴びて倒れるように寝ました。
さて、明日はケルンからベートーベンの故郷、ボンへと移動します。
ずっと移動してんな。
2017/02/24ドイツ旅行②ブレーメン
ドイツ旅行①は↓
ハンブルク観光の翌日は高熱を出して1日寝込みました。
そして明けること2017年2月24日。ハンブルクの友人と街とにサヨナラを告げ、バスに乗ってブレーメンという街を目指しました。
FlixBusという格安のバスがドイツ国内中を走っており、今回の2週間の周遊において各都市間の移動は基本こちらのバスを利用しました。
事前にオンラインでチケットが買えるので、そこで発行されるQRコードをピッとして乗車するだけ。簡単です。
また、ドイツはアウトバーンという速度制限がほぼ無い高速道路が縦横無尽に存在しているため、都市間の移動がバスでもかなり手軽かつ素早いです。時速200キロとか怖いよね。フランス製の小さくてかわいい車とかだと吹き飛ばされそう。
ちなみに、2週間の滞在のうち晴れていて比較的暖かかった北ドイツはブレーメンの1日のみでした。あとはずっと寒風か霧雨、濃霧。そして私の気管支炎。
8:30にハンブルクを出発して、10:00ごろにブレーメンに着きました。
こういった細かい内容を当時メモに残しておいている自分のマメさに驚きますが、ブレーメンです。
まずはバス停を離れ、中央駅へと向かいます。大体の町には主要となる大きな中央駅(ハウプトバンホッフ)が存在していて、そこにはコインロッカーがあるのです。滞在予定のホテルのチェックイン時間よりも早くブレーメンに到着してしまうので、ひとまず駅のコインロッカーに荷物を全てぶちこんで観光することにしました。
さて、身軽になったところでブレーメン観光です。
ブレーメンはとても小さな街で、かつ観光名所が一箇所に集まっているらしいのですぐに観光はし終わるとのこと。
中央駅からしばらく歩くと有名な広場、マルクト広場があり、そこに旧市庁舎など観光の見所が集中しているそうなのです。とりあえずそこを目指します。
道中、アジア食品を扱う小さなスーパーがあったので立ち寄ってみました。中国系の方が運営している個人商店といった風情のお店で中華料理に使うものなどが多かったのですがこちらを見つけました。
漫画「のだめカンタービレ」の読者ならわかるであろう外国で売っている日本ぽい誤字米です。バックパック旅行じゃなかったら買っていたくらいのテンションの高まりでした。買いませんでしたが...。
ハンブルクから変わらずずっと体調が悪かったので、このアジアンスーパーで生姜パウダーを1袋買いました。お茶とかに入れて飲んでれば体にいいかなと思って...。
さて、数分歩いたらそこはもう目当ての旧市街、マルクト広場です。
そして見えてきましたまずはブレーメン市庁舎。
世界遺産にも登録されている市庁舎。そしてその前にはローラント像が立っています。都市の自由と権利の象徴らしいです。
そして市庁舎の横にかなりひっそりと、わかりにくいところに、かの有名なブレーメンの音楽隊の像がたたずんでいます。
撫でると幸せになれる、的な像は世界各地にありますが、そういうのを撫でているときだけ、一人旅独特の寂しさを感じます。情感を誰かとリアルタイムで共有できない哀しさみたいなものでしょうか。ただ、そんなささいな悲しみに傷つくほどヤワな旅人ではないはずです。ドイツ旅行のあと、インドネシア、ポルトガル、スペインと旅行することになりますが、結果的に全て一人旅です。寂しくなんか無いのです。そうでしょう、ロバよ。そうでしょう、犬よ。あとその他よ。
先ほど見た世界遺産の市庁舎の真横には、2つの尖塔が特徴的な聖ペトリ大聖堂があります。
写真の記録が曖昧で確かでは無いのですが、以下が聖ペトリ大聖堂の内部の写真だと思われます。
ヨーロッパの街には大抵どこかしらに教会があって、教会があるということはベンチがあって、人もそんなにたくさんいないので、私のような気遣い人見知りぼっち旅人には絶好の休憩ポイントとなり得ます。
少し休憩して仏教徒の私は外へ出ます。
市庁舎やブレーメン像があるこのマルクト広場のあたりは、とにかく街並みが統一されて可愛げがあります。
さて、このマルクト広場の一角から一筋道をそれると昔風な出でたちの通りに出ます。
ベットヒャー通りと呼ばれるこの通りは、短い通りですが、中世の街並みを再現して作られた通りだそうで、カフェやお土産屋さん、手作りアクセサリーの工房などが並んでいました。
ベットヒャー通りを歩いていたら小学生くらいの集団とすれ違いました。修学旅行っぽい感じでしたね。その中の数名にチャイニーズ!チャイニーズ!と呼ばれ目を細くするジェスチャーをされた気がしましたが、私の気のせいかもしれないし、わざわざここに4年後にここに書くことでもないような気がします。教育って難しいですよね。
さて、ベットヒャー通りは100メートルくらいの短い通りなのですぐ散策が終わります。
もう少し行くと川が流れていたり橋があったりで、そこの川縁に座ってアジアンスーパーで買ったリンゴとパンを食べて昼食としました。
その後はシュノーア地区と呼ばれる古い建物が集まるエリアを散策します。
シュノーアの方は全然人がいなくて、静かな住宅街のようでした。
しかし、可愛げのある建物がまだまだ並びます。まさにメルヘンですね。
聞いていた通り、ブレーメンの観光名所は一か所にコンパクトに集中していてサッと見終わり、他のところは普通の街並みといった感じでしたので、スーパーで夕飯を買い、バックパックを回収し、ホテルへチェックインしました。
全編を通して、食べ物の写真が全然ありませんが、節約していたため大したものを食べていないからです。リンゴとかサンドイッチとか。今思えば、風邪が治らなかったのは栄養不足もあったのかもしれないなと思います。
ブレーメンで滞在するホテルだけ(だけ)はちょっとだけ(だけ)贅沢して、ビジネスホテルのようなところに泊まりました。清潔で、お洒落な個室で、エスプレッソマシンなんてものもついていました。
夕飯にリンゴとパンを(また)食べ、下着やヒートテック類を洗面所で手洗いをし、バスルームに荷紐を吊るして干しました。おしゃれホテルへの冒涜です。
ブレーメン旅行はこんな感じでコンパクトに済みました。
明日はブレーメンから電車に乗ってケルンという都会に向かいます。
つづく
2017/02/22ドイツ旅行①ハンブルク
2017年2月22日。同月に20歳になったばかりの私は、空港に立っていました。
よく覚えていませんが、成田空港だったと思います。
今回は人生で二度目の海外旅行。そして、人生で初の一人での海外旅行。
(ちなみに初めての海外旅行は高校生の頃の友人と2人で台湾に行きました。19歳のときだったかな。)
今回向かうのはドイツ。主に北ドイツの各都市を周る予定です。いわゆるバックパッカーというやつで、大きなリュックを背負いながら安宿や安い交通機関と脚力を駆使して、いかに多くの場所を見て回れるか。そういった旅になる予定でした。
なぜドイツか。
ひとつには、ドイツ人の友人ができたことが理由にあります。
彼がドイツのハンブルクという街に住んでいるので、旅のスタート地点をハンブルクとしました。ハンブルクから北ドイツ各都市を周り、またハンブルクに戻り、帰国するといった旅程です。
ふたつには、私がクラシック音楽と長い付き合いだったこと。
ドイツといえば、クラシック音楽の作曲家などが各地で多数生まれ、制作し、そして亡くなっていった国です。その理由から、周る都市を以下のように決めました。
【ハンブルク→ブレーメン→ケルン→アーヘン→ボン→ライプツィヒ→ドレスデン→ベルリン→ハンブルク】
ケルンはケルンの大聖堂目当て、アーヘンも大聖堂目当て。
ボンはベートーベンの生まれ故郷であり、シューマン夫婦の墓もあります。
ドレスデンは、最初はいく予定がなかったのですが、ハンブルクに住む友人からドレスデンの街は超いい景色だから一度は行っとけと言われたので急遽、旅程に組み込むことにしました。
そしてベルリン。ゲイといえばベルリンに行っとかない手はないでしょう。
そんな感じの理由で決めた各都市周遊を、バスや電車を駆使しながら、約2週間で遂行しなければなりません。学校の冬休み期間を利用しての旅行ですのでリミットがあったのです。正直なところ、2週間で初ヨーロッパ訪問の人間が組むスケジュールではありませんでした。しんどかった。
さて、海外旅行のはじまりは飛行機から。
今回はエミレーツ航空を利用しました。2月のドイツは冬で観光としてはオフシーズンだったため、往復で約8万円くらいの航空券を購入できた記憶があります。ヨーロッパ行きで10万円以下に抑えられたのは嬉しいですが、やはり高いですね。
ヨーロッパは宿も、食事も東南アジアのように安くは済まないので工夫が必要です。アルバイトでかき集めた少ない予算で旅程をこなすために、食費を削ることにしました。
エミレーツ航空の機内食は、エコノミークラスでも品数がたくさんあって楽しさがあります。
また、機内の天井が星空のように光っているのも印象的でした。
ただ、私は正直なところ機内でのいい思い出があまりありません。
乗り物酔いのようになってしまって、ずっと吐き気とめまいにおそわれていました。
乗り換えのドバイ国際空港で我慢できずにトイレで嘔吐。乗り換えの待ち時間は8時間以上あったので、空港内見学やら色々としてみたいことはあったのですが、トイレで用を済ませた後はずっと搭乗口近くのベンチに座って、水とタブレットのミントを交互に口に含んでいました。
いいんです。オイルマネーでリッチな国の空港でできることなんて貧乏旅行者にはほぼ無いに等しいですし。現地通貨のディラハムとやらも持っておりません。
敗因として、人生初の長い時間の飛行機搭乗だったことと、コンタクトレンズをつけたまま乾燥した機内にずっと居たことがあげられると思われますが、本当のところはよくわかりません。
機内での映画などエンタメを楽しむ余裕もなく、吐き気に耐えながら無事にハンブルク空港に到着しました。
ここから、友人の家まで行って今日と明日、そこに泊まらせてもらいます。
久しぶりの友人との再会に喜び、日本が好きな彼の持っている漢字がいっぱい書かれた毛布にくるまって一晩過ごしました。
そして迎えた翌朝。友人がハンブルクの街を観光に連れ出してくれます。
まずは、ハンブルクの中央駅。ハンブルク内の移動だけでなく、近隣の街への中長距離移動の電車も停車します。国際列車も発車しているようで、近隣の国のチェコのプラハやポーランドのクラクフなどにもこの駅から出発できるようです。
ほぼ全面ガラス張りの天井が印象的でした。とても大きくて人通りもお店も多い駅構内でしたが、狭苦しく感じなかったのはこの天井の影響かもしれません。
駅内には24時間営業しているスーパーマーケットも併設してありました。24時間営業している、および日曜日も営業しているスーパーなどのお店の少ないこと。その貴重さを、たった2週間しかいなかった私も後に知ることとなりました。
しかも、私がドイツに来た時期はちょうど「薔薇の月曜日 Rosenmontag」というカーニバルが開催されている時期。西ドイツの冬の風物詩で、街では仮装した人々とパレードが練り歩き、お菓子が空中を飛び交うお祭りの時期です。祝日感覚でお休みになっているお店もたくさんありました。
「お、ちょうどよくパレードなんてやってんじゃん」なんて良い気持ちで構えていましたが、食べ物を買うようなお店が閉まっているのには後々、少々困りました。
さて、ハンブルク観光です。お次は市庁舎。
ドイツ人の友人いわく、この市庁舎が1番の自慢だそうです。
市庁舎の前はだだっ広い、何もない広場のようになっていました。
確かに、趣のあるたたずまいの建築物で、歴史を感じます。
1886年〜1897年に建てられたとのことですので、実際かなり年季の入った建物ですが、現役で市庁舎として使われています。
建築に全く詳しくありませんが、ルネサンス様式で建てられたものらしいです。
中央の尖塔は112メートルもあるそうです。
近づいてみるとその大きさを身近に感じることができます。写真に写っている人の大きさと比べていただけると、その大きさが伝わるでしょうか。
市庁舎内はガイドツアーも行われているようですが、私は友人というプライベートガイドがいるので何も問題がありません。
中に入っていきます。
友人に連れられ、市庁舎内部も見学しました。
この柱の数、そして荘厳さよ。雰囲気まとってやがるぜ。
歴代の市長の写真や、建物の歴史などに関する説明書きの展示も飾られており、友人が少し解説してくれました。私はドイツ語が全くわからない状態で来ています。YesがJaだということくらいしか知らない状態です。
中庭には、目を引く噴水もありました。
噴水の中央に立つ女神像の足元にまとわりついているのは竜だと、友人が解説してくれた記憶があるのですが、肝心の意味を忘れてしまいました。
いま調べてみると、こちらの女神は健康と衛生を司るギリシア神話のヒュギエイアで、足元の制止されている竜は疾病を表しているようです。
1892年にハンブルクでコレラが大流行し、約8600人もの犠牲者を追悼する目的でこの噴水がつくられた、とのこと。
これを書いている現在2021年にも何か通ずるものがありますね。当時の私は世界がこんなことになるなんて露ほども考えておらず、寒いな〜と古いな〜と思いながら市庁舎を見て周っていました。
市庁舎を出て、街中の散策へと続きます。
どこかで昼食を、と思っていたら友人がバス停のベンチでリュックから黒パン1袋とバナナを出してきて、ほれ、と差し出してくれたので特に名所のレストランなどに行くことなく、昼食は済ませました。
ハンブルクは港街ということもありますが、水の都としても有名で、大きな湖、アルスター湖があります。
写真に写っているように、フェリーやボートなども出ており、水上観光も可能です。私が滞在した2月はシーズンオフということもあって人の出入りもまばらでしたが、逆に静かな湖畔を臨めて楽しめました。アルスター湖は、ハンブルクの真珠、とも呼ばれているそうですよ。
この像、ハンブルク各地で見かけました。何かのキャンペーンでしょうか。
場所によってカラーリングも異なるいでたちでした。
さて、次に参りますのは赤レンガ倉庫街です。
2015年に世界遺産にも登録された赤煉瓦造りの倉庫街はハンブルクの名所の一つです。
まとまった倉庫群としては世界最大級の広さらしい。
横浜の赤煉瓦街にも行ったことがありますが、規模でいうと、ハンブルクのそれはかなりの大きさです。見てください。
こんな風景がずっと、ずーーーっと向こうまで続いています。
途中、写真中央に写っているような橋がかかっており、そこがベストフォトストップでしょうか。
かなりの広さなので、反対側を振り返ってみても、
ずっと向こうまで赤煉瓦の倉庫です。
19世紀にドイツ帝国が設立され、そのときに整備されたのがこの倉庫街だそう。
この運河を、これまで一体いくつの船が行き来し、一体どれほどの量の品々が持ち運ばれたのでしょう。そんな物思いに耽るにはぴったりの場所だと思います。フォトジェニックですしね。
運河街で寒さと歴史に吹きさらされたあと、友人が連れて行ってくれたのは教会。
その名も、聖ミヒェエル教会。
なんでも、上に登れる展望台のある教会らしいです。
中に入ってみるとかなり広いです。
ちょうど何かのコンサートが終わった直後なのか、人がわらわらと出てくるところでした。
塔の上からの絶景が見れる、とのことで連れてきてもらいましたが、教会内部も歴史を感じさせる、荘厳でナイスなスポットでした。
コンサートなども定期的に行われているそうなのでタイミングがあえばそれも良しでしょう。
早速、塔にのぼってみます。エレベーターもあるので足腰の弱い方でも大丈夫。
ただ、私たちが行った際はメンテナンスだか故障中だかなんだかでエレベーターが使用できない状態だったらしく、階段でのぼりました。結構な階段数です。130メートル以上もあるらしいので結構な階段です。ひぃ。
階段途中には鐘も見れます。リンゴーン。
さて、肝心な塔の頂上からの眺望ですが、
やはり、目を引く色合いの家々の屋根が印象的ですね。いくつか見える塔は他の教会のものです。そして、載せている写真全般で言えますがずっと曇ってますね、2月の北ドイツ。
大きなエルベ河も望むことができます。広大なエルベ河もあって、だだっぴろいアルスター湖もあって。やはりハンブルクは港湾都市ですね。
聖ミヒャエル教会を堪能したあとは、寒さに凍えながらこちらに向かいました。
2017年にできたばかり(2017年訪問当時)のコンサートホール、エルプフィル・ハーモニーです。
施設の下部は倉庫として使われていたもので、その上にコンサートホールやホテルやらを建てた形です。
エルベ川沿いに建てられているので、川の水面と空模様を反射するガラス張りな面が印象的です。特徴的な形は河にたつ波でしょうか。
建設のためには資金面であれこれ揉め事もあったようですが、結局完成し、内部も小綺麗なコンサートホールでした。私たちが行ったときには特になんの演目も演奏されていませんでしたが。しかも、内部の写真が一枚も無いという迂闊さ。
中にはコンサートホールのほか、カフェやレストラン、展望台やホテルもあります。全体的に小綺麗です。
散々観光につきあってくれたドイツ人の友人は学校の用事があるとのことで、こちらの公園で別れました。
さて、ここから私のひとりハンブルク観光です。
実は行きたいところがあるのです。
そう、ハンブルクに来たまさにその目的、ブラームス。作曲家ブラームスの博物館がここハンブルクにはあるのです。
ガイドブック「地球の歩き方」から破りとった地図を頼りにひとりで向かいました。
街並みのなかにスッとたたずんでいるので少々わかりづらいですが、無事にブラームス博物館にたどり着けました。
チケットを買うのに少々難儀しました。ブラームス博物館のチケットは写真のここじゃ買えない、向こうの店で買えと言われました。行ってみると、カフェとお土産屋さんが組み合わさったようなお店にカウンター。そしてカウンターにはナイスグレーのおじさま。
ブラームス博物館のチケットを買いたいと拙いドイツ語で伝えると、どうやら近くのテレマン博物館も見れるセットチケットがおすすめだと。おじさまがとても良い人だったのでそのチケットを買いました。テレマンも作曲家です。
併設していたカフェで休憩でもすればよかったな。
肝心の博物館ですが、当時の楽器などの展示や、ブラームス自筆の楽譜などがありファンとしては大変見応えのあるものでした。建物としては、広い一軒家を改築したような作りだった記憶です。二枚目の写真を見ていただくとわかるのですが、説明がきなどがドイツ語です。困りました。入り口で日本語で書かれた説明がきのような、A4サイズくらいの紙切れパンフレットを配布されているので、全く何もわからん状態にはなりません。
実は、このあたりから私、体調を崩し始めました。
くしゃみが止まらない。咳も止まらない。なんてったって寒気がすごい。
実際、2月のドイツ北ドイツ、しかも港街はかなり寒いのですが、ダウンジャケットを着ていたにもかかわらずどうやら風邪をひいてしまったようです。
結論から言うと、私はこのあと2週間の北ドイツ周遊の間ずっと風邪をひきながら、治らずに病んだまま周ることになりました。
ブラームス博物館をあとにし、今度はブラームスの名がついた通りを目指します。
ブラームス博物館から徒歩で行けるこの広場には、ライスハレというコンサートホールがあります。
ハンブルク交響楽団の本拠地でもあるこのコンサートホールの近くにはこんなブラームスの顔をかたどったオブジェもあります。
私にとってのブラームスはこの若いころの顔ではなくて、晩年の、背中を丸めてピアノに向かっているあの感じなんですが、そんなことはどうでもいいですね。
テレマン博物館もその後見ましたが、いかんせん解説がドイツ語でさっぱりでした。ああ、バロックだなあ、というしょうもない感想しかなかった。
さて、前述のように体調が最悪に傾きつつあるし、ひととおりハンブルクの街並みも見終わったので、泊まっている友人宅へ帰ることにしました。
途中、アルスター湖ほとりのベンチで休憩して、(それくらいゼエゼエしていた)ネットで、「ドイツ 咳」などで検索してみました。どうやら薬よりもハーブティーなどを飲んで寝て治すのがドイツでは一般的なようで、店ではそういったハーブティなどが多数売られているようです。その中でも、喉がいたいときはハーブのセージのお茶を飲むとの情報を微弱なWiFiでつかんだ私は、スーパーによってから帰ることにしました。
これから2週間、持って行った水筒にこのセージティーとお湯を入れてずっと飲んでたんですが、動き続けていたせいか治る気配はありませんでした。
セージティーは効きませんでしたが、結果的に2週間、北ドイツを歩いて周れたのでまあ結果良しでしょう。終わりよければ全てよしと言います。
ちなみに、次の日である2月23日はその友人がハンブルクから近い街のリューベックというところを案内してくれる予定だったのですが、高熱を出した私は一日中寝込んでいました。他人の家で。せっかくの海外旅行で。どうしようもない。
ので、2月23日の写真は1枚もなければ写真もありません。友人がチーズたっぷりのラビオリを茹でてくれたけれど何も食べられなかった思い出だけが残っています。
つづく。
*次はブレーメンへ移動します。
最初
あたまのリハビリとして、またここに文章を書いていこうと思います。
ブログを開設したのは、とあるリスナーさんの後押し?があったおかげでもあります。
主に、過去の楽しかった記憶、旅行の記録になるのかなと予想しています。
元気かつ暇なときに更新されます。