2017/10/04~10/11バリ島旅行⑤ウブド田園地帯を散歩
前回はこちら↓
前回の記事で、ウブド中心街が意外と排気ガスと観光地化によってカオスとなっていたことが伝わったでしょうか。
私、そういうの、あんまり好きじゃないのよね。
ということで、少し足を伸ばして、中心街から離れた田園地帯をあてもなく散歩しました。
ヒンズー教の神話に出てくる有名な存在が猿の形を成しているとかなんとか。
ヒンズー教はそもそもが土着信仰らしいのでその土地によって微妙に異なる伝承があるそうなんですよね。だから神の数も多いし、神話の登場人物も多い。
男根を象ったアクセサリーやキーホルダーが土産物で売られていたりしました。
田園地帯を歩いていると、高台に大きな寺院がありました。
そこから、闇にしずみはじめるウブドの田園地帯一帯を眺めてしばらく過ごしました。
ウブドの田園地帯は街頭がないので、本格的に夜になって暗くなると帰れなくなるので注意しましょう。中心街は夜でも店の灯りなどで明るいですが。
田園地帯を歩いていると、ところどころに東屋のようなヴィラが建っていました。
きっと、映画『食べて、祈って、恋をして』でジュリア・ロバーツが泊まったのもそういう宿でしょう。そこで瞑想などをしながら長い時間を過ごすのは、確かにリラックスできそうな感じでした。
私は一週間だけの滞在でしたが、欧米人など、二ヶ月とか長期休暇をとれるひとたちといった滞在者はノマドワーカーといった風態の長期滞在者の多くは、田園地帯に滞在しているように思われました。
ウブドの魅力は中心街から少し離れたところにあるように思います。
あてもなく、目的もなく、すべきこともなく、ただただ歩いて、止まって休みたければ休めばいい。
そういう時間をもっと長くとれればいいのでしょうね、人生というより長いスパンにおいても。
次回はウブドの有名なハイキングスポットに行ったときの記事を書きます。
つづく
2017/10/04~10/11バリ島旅行④ウブド中心街を散歩
前回はこちら↓
滞在しているウブドの中心街をあてもなくぶらぶらと散歩した記録を載せていきます。
バリ島の伝承によく出てくる神獣などがモチーフとなった装飾がたくさん施されています。
でも、こういういかめしいドアが、観光客が泊まる普通のゲストハウスの入り口だったりもします。
緑豊かで、昔ながらの小さな街であるウブドにもスターバックスの魔の手は忍び寄っています。
一軒だけですが。
私は入りませんでしたが、メニューをチラ見したところ、普通の他の場所のスタバと同じメニュー且つ、値段設定です。なので現地価格からするとやや高めの値段設定。
このウブドのスタバの隣にはwater palaceという場所があって、大きなハスの池と寺院が見られます。
スタバの一部のテラス席からもこのハス池は望めるそうです。私は直に寺院に来ました。
ウブド中心街は意外と観光地化されていて、煩雑だというのが伝わりましたでしょうか。
夜は各所のレストランやカフェがライトアップされて、恋人たちが薄暗がりに浸ります。
ゲイカップルも見かけますが、ヘテロのカップルもたくさんいます。ハネムーン旅行でしょうか。なんなんでしょうか。孤独なゲイバックパッカーはどうすればいいのでしょう。
中心街から少し離れた食堂などで基本、食事を済ませていました。その方が安いし。
あまりにも予想以上にウブドが観光地化されていたので、伝統舞踊ショーを見に行く、という観光客らしいムーブもしました。人混み。
観光地らしい観光地に来て、ひとりパックパッカーがいつも感じる居心地の悪さ。なんなんでしょうね。別にこちらはひとりでいいんですけれども、カップルや家族連ればかりが周りにたくさんいると、なんだか違う、余計な方向に思考が向かってしまいます。
この伝統舞踊ステージでも、普通の席に座るのは避けて、一番後ろの高台になっている階段席みたいなところの一番高いところの、一番端に陣取りました。
その席は、全然人が寄ってこないし舞台の全体が観れるのでラッキーと思っていました。
隣に男女のカップルが座ってきました。ハイ。
伝統舞踊の内容はググってください。
次は、人混みと排気ガスを避けて、ウブド中心街から離れた田園地帯を探索します。
つづく
2017/10/04~10/11バリ島旅行③おすすめ食事処「ワルン・キスミー Warung Kiss Me」
前回はこちら↓
前回の記事で、ウブド滞在一週間で食べたモノの写真を羅列しました。
それ以外にも、一店、気に入ってよく行った定食屋さんみたいなところがあって、そこの紹介をします。
その名も、「ワルン・キスミー Warung KissMe」
ワルンとは「小さな食堂」とかそういう意味です。
キスミーっていう名前をつけちゃうところも愛しいですが、立地も味も良かったのです。
グーグル検索したら閉業していた...。
そんなワルンキスミー。田んぼのど真ん中に建っていたので景観が最高。
見ての通り、田んぼのど真ん中にあり、虫も風も吹き抜け通り放題の場所です。
ゆったりと自然を満喫しつつ、Wi-Fiも飛んでいるのでラップトップで仕事をしている欧米系ノマドワーカーのような客も多数いました。
手前の焼き鳥みたいなのはサテと呼ばれます。焼き鳥です。
奥の赤茶色のソースがサンバルと呼ばれる、バリ料理でよく出てくる辛いソースですね。辛いやつはマジで辛い。つらいほどからい。
中華料理のえびせんみたいなの付いてた。
テンペという、インドネシアの納豆的な、大豆を発酵させたものがあります。
日本の納豆のようにそのまま食べることはしないで、テンペを揚げたり焼いたりして食べるのですが、上の写真は揚げたテンペが挟まっていました。普通に食感も味も肉です。さすが畑の肉こと大豆ですね。最近は大豆ミートとか、ビーガン向け製品も流行り出していますね。
どれだけ長い時間いても何も言われない。そこそこ安めな価格設定。中心部の喧騒からは少し離れた場所にある静かな立地。ウブドらしい景観。
キスミーという名前以外はほぼ完璧と言っていい場所でしたが、googleマップによると、いまは閉業しているみたいですね...。コロナの影響でしょうか。
バリ島旅行記、まだまだつづきます。
2017/10/04~10/11バリ島旅行②ウブドで食べたもの
前回↓
「何もしない幸せ」を味わいに来たウブドですが何も食べないわけにはいきません。
今回は、そんなバリ島一週間滞在で食べたものの写真をどしどし載せる手抜きブログ記事です。
バリ島にはジャムウとよばれるハーブなどを用いた民間療法の文化が深く根付いております。
上の缶の水は、薄味付きの、いわゆるフレーバーウォーターみたいでした。風邪のひき始めとか喉が痛い時とかに飲むんだとか。
これ以外にもたくさん食べました。
基本、油多めで炒めたり揚げたり焼いたりする料理が多いのが特徴なのでずっとバリ料理ばかり食べてると胃がもたれます。
辛いソースが基本ついているものも多いので、苦手なひとは避けてもらって。
一店、すごく気に入った店があったので、そのお店での食事だけは別の記事に、次の記事でまとめます。
つづく
2017/10/04~10/11バリ島旅行①滞在したヴィラ「Sudiana House」のこと
2017年の10月4日からおよそ1週間ほど、私はインドネシアのバリ島に滞在しました。
目的はひとつ、何もしないで過ごす、でした。
映画「食べて、祈って、恋をして」のロケ地でも有名な地ことバリ島のウブドという場所で、「何もしない幸せ=Dolce far niente(伊語)」を堪能しに行く為です。まだ、映画を観ていない方は一度は観ていただきたい映画作品です。ジュリア・ロバーツの笑顔ってかなり独特で、彼女しか作り出せない笑顔を持っているなといつも思います。
長い実習生活を終えてくたびれていた私は、日本や現実から逃げる様に成田空港へ向かい、格安航空会社エアアジアの機体に乗り込みました。機内の冷房が乗客を凍らせるほど効いている以外は、いたって普通の搭乗体験でした。
バリのデンパサール空港に到着してロビーに出た際に目の前に広がる光景はひと、ひと、ひとの洪水。ゲストの名前を書いた紙やプラカードを掲げた現地の人々がやんややんやとたむろしていました。
ウブドは空港からかなり離れた内陸部の場所なので、私も宿からのタクシーでの迎えを予約してありました。「Sudiana House コーギィ(私の名前)」と書かれた札を掲げている人をなんとか見つけ出して、駐車場まで連れてってもらいます。
空港からウブドまでは車で少しかかります。ドライバーの運転も車やバイクの往来も混雑していて、乗り物酔いしやすい貧弱な私はすぐに車酔いしてしまいました。ビニール袋に吐いた吐瀉物を優しく捨てておいてあげるよと受け取ってくれたドライバーさんには申し訳なさで顔を直視できませんでした。
さて、今回およそ一週間ほどの滞在です。普段のバックパッカースタイルの旅ではせいぜい各地に1泊か2泊かして次の街に移動、といったスタイルをとるところですが、今回の旅は違います。私は「何もしない幸福」を味わいに来たのです。そこで、一週間の滞在中、全て同じ宿に滞在することに決めました。それがゲストハウスの「Sudiana House」でした。
ウブドの中心部に位置しているゲストハウスでした。
映画「食べて祈って恋をして」のように田んぼのど真ん中にあるヴィラなどに泊まることも考えましたが、観光に便利な中心地に近くて安い宿としてこちらを選びました。
確か、7泊して1万円くらいでした。
緑豊かで人々はおだやかで、観光客は皆ヨガか瞑想をしている。そういったイメージをもっていたウブドですが、実際にタクシーから降りて中心部を歩いてみると、臭い。排気ガスの臭いです。
中心部はバイクタクシーや車の往来が激しく、そこから排出されるガスの臭いでした。
乗り物に伴って、クラクションの音も間髪入れず鳴り響いてきます。
また、客引きの声かけも絶え間なく続きます。大きめのリュックサックを背負った日本人がこの地で観光客ではないはずがないのです。仕留めたといわんばかりに、いろんなおっちゃんやおばちゃんが声をかけてきます。どこどこ行きが何ルピー(現地通貨)だ、などといった内容です。
野犬なんだか飼い犬なんだかわからない、大きめの犬がそこらへんを歩いているのも印象的でした。東南アジアっぽさを感じます。猫はあまり見かけませんでした。
そんな事前のイメージと正反対のカオスなウブド中心部と乗り物酔いに圧倒されながら、とりあえず宿に行こう、荷物をおろそう、と思い直し、マークした地球の歩き方の地図を頼りに宿へ向かいました。
Sudiana Houseの入り口は大変わかりづらかったです。
手作りジャムを販売している店の隣にある細長く、入り組んだ階段を上ったところ、少し高台にあると事前に聞いていましたが、私が到着したのが夜で、暗くて、ジャム屋も閉まっていたのです。
正しく、道を辿れば玄関口にこの表札が見えてきます。
バリ島の宗教はバリ・ヒンズー教という独自の宗教です。インドネシアの他の地域はイスラム教が主ですが、バリ島は違う。そのためかどうかはわかりませんが、バリ島は近隣諸国、例えばオーストラリアなどのゲイカップルのハネムーン地などとしても有名だとか。画像はガネーシャといってヒンズー教の数多く存在する神様のうちの一人です。このあと、バリ島のあちらこちらで見かけることになります。
高台にあるせいか、Sudiana Houseに入った瞬間、急に街の喧騒が遠ざかっていきました。静かで落ち着いていて、清潔な空気がただよった空間です。
こちらが私が泊まる個室です。コテージと呼ぼうか、ヴィラと呼ぼうか、ゲストハウスと呼ぼうか、悩むところです。ワンルームの部屋に大きめのベッドと机と椅子、シャワーとトイレがついているといった感じの設備でした。
敷地内に戸建ての棟が立ち並んでいて、その一棟ずつがそれぞれ部屋になっているのが「ヴィラ」と呼ぶらしく、響きもおしゃれですのでここではヴィラと呼んでいこうと思います。
ヴィラの装飾も見事で、バリの伝統的な技法で彫られた木材装飾が目立ちます。
私が気に入った装飾はこちらのドアの木彫りです。
見事な彫り物です。ドアとしてもちゃんと機能します。
ただ、施錠はヘアクリップでこじあけられそうな南京錠なので、そもそも貴重品などは宿に置きっぱにしないほうがいいかもしれません。危険な雰囲気が漂う場所ではないですが、宿の構造上誰でも入ってこれるし。なんなら、私も一人、現地人ゲイを一晩連れ込んだし。
ドアからの眺めはこんな感じです。
緑豊かで穏やかな様子が写真で伝わるでしょうか。晴れるとこんな感じですが、私が行ったのはちょうど雨季にさしかかる頃だったので、急な雨降りなどが多く、晴れている日はそこまで多くなかったですね。
居室内にエアコンがありませんでした。
暑い東南アジアでそれは多少不安でしたが、こちらがあったので大丈夫でした。
部屋の天井と同じくらいの直径があるシーリングファンがついていて、これを稼働させればかなり涼しかったです。日陰でしたし。
先ほど7泊で1万円くらい、と書きましたが、朝食も込みでのお値段でした。
朝食はこちら。
皿に山盛りのカットフルーツと、バナナココナッツパンケーキとコーヒー(or紅茶)が毎朝提供されます。東南アジアはフルーツがバカ美味い。
パンケーキが緑色なのが不思議ですよね。
インドネシアではパンやケーキなども緑色のものを見かけます。これは人工着色料によるものではなく、パンダンという植物による着色・装飾だそうです。味は普通の小麦のパンケーキです。
静かな日陰の部屋で、大きめのベッドに寝ていて、毎朝こういう食事が何もしないでも出てくる。これぞ、何もしない幸せでしょう。
朝食はテラスのテーブルに運ばれてきます。朝食後もそこで本を読んだり、ボーッとしたりして何もせずに過ごしたりしていました。
正直、このヴィラにずっと引きこもっていてもいいのです。ただ、せっかく来た「外国」ですから観光や散策もしなければいけないような義務感が自然と湧いてきます。
次回からはバリ島ウブド散策の記録が続きます。
つづく
2017/03/05~07ドイツ旅行⑧ベルリン滞在、そして帰国へ。
前回はこちら↓
さて、前日ドレスデンからベルリンへ到着し、ホステルへチェックインしました。
3月5日が日曜日で、ドイツでは多くの店が日曜日はお休みとなります。遅めの朝食、ブランチを食べられるお店さえも昼頃から開店したり、と町中が「日曜日は休み」といった風情です。安息日ってやつでしょうか。そのため、3月5日(日)に撮った写真の記録がこれしかありませんでした。
ベルリン観光の写真の記録は3月6日に集中しているので、3月5日、この日曜日に私は何をしていたのでしょう。これを書いている今、ずいぶんと前のことなのでベルリンでの2日間の詳細を覚えていないのですが、おそらく私はこの日、現地のゲイと会っていました。
ゲイが出会うアプリで当時私がよく使っていたのはGrindrと呼ばれるものでした。日曜日でお店も閉まってるしなんか外も曇ってて天気も悪いし今日は何しようかな〜ピコンピコンと、ベッドの上でその出会い系アプリを眺めていました。
すると、一通のメッセージが。「Hi」それだけ。よくあることです。
プロフィールを見てみると、イランとか中東系の顔立ちで、関西弁を流用するならなんとなく「シュッとしてはる」感じでした。
いまなにしてんの?暇してんの?中国人?日本人か。観光?どこ泊まってんの?などと短くて、わかりやすいチャットのやりとりが続きました。どうやら英語よりドイツ語の方がわかる殿方のようで、一方、ドイツ語はからきしダメで英語の方が使える私とのコミュニケーションとなりますと、やはりどうしても簡素なやりとりになってしまいます。
そういった短いやりとりのあと、なんとなく性交渉をする?的な流れになり、私も全然オープンなマインドだったので、私が泊まっているホステルに来てもらうことになりました。
ベッドで寝て待ってるだけで来てくれるだけなんてラクでいいや〜くらいにしか思ってませんでした。
2017年当時、2月に20歳になったばかりの頃ですから、日本にいたときも、Grindrを使ってやりたい放題、会いたい人と会ってヤりたいことをヤッてばかりいました。
英語でのコミュニケーションの方が性に対して気持ちがオープンになるし、Grindrというアプリが外国人によく使われているという特性もあってか、当時の私は日本人ではない人ばかりと一夜(たまに昼)限りの、身体の関係をもつことを試し、繰り返している頃でした。
ですから、異国の地で知らない人を滞在先に呼ぶことの危険性とかリスクなどはあまり考えずに、気楽にセッションへと気持ちを向けていたのだと思います。
モハメッド(仮名)と名乗るその殿方は、出会い系アプリの写真で見るよりも実際は太っているというかまんまるく、彫りの深く浅黒い肌の子熊のような人でした。
英語があまり得意ではない様子でしたので、特に言葉を介した深くお互いを知るようなコミュニケーションは無く、とるものとりあえず、行為へと事が進みました。
行為に関しては、彼が持ってきていた潤滑剤、ローションが緑色だったことに若干驚いた記憶だけ残っています。私は大抵、抱かれる側です。完全に要らない情報ですが。抱く方もやったことはありますが、圧倒的に気の持ちようとしては抱かれる側の方が、自分に合っていると感じます。
行為が一通り終わったあと、お互いの話を少ししました。
モハメッド(仮名)がペルシャからベルリンに出稼ぎに来ていること。ペルシャにいた頃は宝石などを扱う仕事をしていたこと。ベルリンでは工場で働いていること。彼氏はいたけど別れたばかりなこと。など、そういう話をしたことを覚えています。
行為だけを済ませて、目的達成すればハイ解散、といった感じではなく、なんとなくお互い居心地のよさを感じていたので今後もたまに連絡をとれるよう、Facebookで繋がる運びとなりました。
最近、彼のFacebookを覗いてみたら、どうやらまだベルリンにいて、新しい彼氏らしき人と一緒に写真に写っているのを確認しました。
私が東京で鬱屈としているとき、世界のどこかではシロナガスクジラが潮を吹き、ベルリンではモハメッド(仮名)が彼氏と公園の芝生でサンドイッチでも食べているのかもしれません。
世界の広さ、同時性、多様性、総人口、などと思考のスケールを広げていって、自分がその途方もないほど大きな世界のごくわずかな一部分にしか過ぎないことを意識すると不思議と気分が落ち着きます。
たった一回限りの関係でしたが、今日もモハメッド(仮名)が日々を特に苦しいことなく過ごせていることを勝手に願う私がいます。
そんな、ベルリンで過ごす日曜日、こと安息日でした。
ごめんね、だって、それしか記憶がないんだもの。もしかしたら、次に書く3月6日の記録で行った観光地に、この日曜日に行ったのかもしれません。
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明けて3月6日、月曜日です。今日はベルリン観光をし、夜のバスでハンブルクへ戻り、3月7日に日本へと出発し帰国する手筈です。
ベルリン観光、なんといってもみなきゃいけないのはベルリンの壁、ことイーストサイドギャラリーでしょう。ホステルからも近いのでまずそこへ向かいます。
イーストサイドギャラリーとは、ベルリンの壁崩壊、ドイツ東西分断の終焉を祝って、多数のアーティストによって壁に描かれたグラフィティアート群です。
この横顔モチーフのグラフィティが気に入りました。
近くにある土産物ショップには、イーストサイドギャラリーの作品をモチーフにしたグッズが多数売っており、この横顔アートモチーフのノートがあったので土産に購入したことを覚えています。
ところどころ、作品の前にある金網というか柵が邪魔ですが、おそらく作品保護のため、触ったりして壊れたりしないようにでしょう。
日本の富士山と五重塔がモチーフになっている作品もありました。突然のジャパン登場に不意打ちくらっていたら、
不意打ちのジャパニーズ、日本語です。「日本地区への迂回路」。どういう意図なんでしょう。ちらっとグーグルで調べてみると、どうやら先ほどの富士山作品と同じアーティストによる作品だそうで、そんな彼が日本へ行くことへの憧れや夢からこの作品が生まれたとか。うんたらかんたら。
そして、ベルリンの壁といえば、これですよね。
ギャラリーの作品のなかで一番有名なものかもしれません。
「兄弟のキス」とよばれるこの作品でキスをしているのは、旧ソビエト連邦の指導者であるLeonid Brezhnevと、東ドイツの指導者であるErich Honeckerの二人です。
イーストサイドギャラリーではベルリンの壁の一部をお土産として販売している露店が多数出ていました。多少心惹かれるものがありましたが、壁を買ってもしょうがないなと我に返り買うのはやめました。
お土産つながりで、次は「アンペルマンショップ」に向かいました。
アンペルマンは、ドイツベルリンの信号機の「進め」と「止まれ」、いわゆる赤青マークのキャラクターとして作られたものです。信号機🚥=アンペル(ドイツ語)らしい。
ペグラウさんというアンペルマンの生みの親である方と、単なる信号機のマークだったアンペルマンをキャラクター化しランプに生まれ変わらせたヘックハウゼンさんという方が出会ったところから、アンペルマンのグッズ化、象徴化がはじまった模様。
二人で行政や芸術家たちを巻き込みながらアンペルマンをベルリンのトレードマークにしたんですって。
ここで、アンペルマンをあしらったキーホルダーやコンドームなんかも売っていたので、友人へのお土産を調達しました。ハンカチやキーホルダー、消しゴムと同じ棚の流れですぐ横にポップなアンペルマンデザインのコンドーム、避妊具が売られているのも、ベルリンらしいなと感じました。パイオニア。
お土産を調達したら、引き続きベルリンの街中を散策します。
同じ形をした、真四角形の形の建物が多く並ぶのも特徴的です。
上の写真の左下に写っている黄色いものが見えますでしょうか。
工事している部分を覆う、よくある立て板にもイラストレーションが施されていたのですが、よく見てください。
工事中の立板にさえゲイシーンが見られます。進んでいますね、ベルリン。
しかもキスをしている二人がボンテージ姿っぽく、筋骨隆々、マスキュラーな感じなのもゲイゲイしくて、ああベルリンって、という気分にさせられます。
ベルリンの街中を歩いていると、上のような熊の像があちこちにあるのですが、ニベアショップの前のものはニベア仕様の熊でした。ニベアもドイツ発祥のものですね。この専門店ではカスタムでオリジナルデザインのニベア缶が作れたりするそうです。
街を歩いていたら、いい感じの建物が見えてきました。
こちら、ベルリン大聖堂です。
ベルリン大聖堂とは、「ベルリン二ブランデンブルク=シュレージシエ・オーバーラウジッツ福音主義教会」に属している聖堂だそうです。なにがなんやら。
ネオバロック様式の建物だそうです。ケルンの大聖堂はバロック様式でしたから、それよりも新しいものになりますね。
「ホーエンツォレルン王家」の記念教会でもあるそうです。ホーエンツォレルン王家って高校の世界史の授業で聞いたことがある気がしますね。
このベルリン大聖堂には、王家に携わった有名人が多数祀られているそうです。
バロック様式ってやはりこの緻密で豪華な装飾がワッサーといっぱいゴテゴテとほどこされてるところが見どころですね。下品じゃないけど派手、というか。
このベルリン大聖堂の近くには旧国立美術館もありました。
特にめぼしい展示はやっていなかったのですが、旧国立美術館の内部をしばらく散策しました。
次は、ベルリン名物のブランデンブルク門へと向かいます。
ベルリン大聖堂や旧国立美術館の近くにある、「ウンターデルリンデン通り」という大通りを西にずっと歩いていくと出会えるのがブランデンブルク門です。
途中、ビアスタンドやソーセージの屋台などを横目にしながら進んでいくと見えてきました。
写真が下手。
ブランデンブルク門はもともと、1730年代に複数建設された関税門のうちのひとつだったそうです。プロイセンがナポレオンに敗けたときにナポレオンに上の部分の像が持ち帰られたり、第二次世界大戦では大きな被害を受けたり、様々な歴史の証人となってきた象徴的な門です。
現在ではニューイヤーパーティーなど、記念ごとの際の会場としても使われているそうです。
東ドイツ時代は人々のアクセス禁止になっていたそうですが、私が行った当時は様々な人、観光客が自由に往来していました。門の写真を撮る人々を見ながら、ベルリンという分断のはざまにあった街の歴史に想いを馳せることができました。
ブランデンブルク門近くには、次の目的地があります。
ホロコースト記念碑です。
正式な名称は「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」。
戦時中のホロコーストで犠牲になったユダヤ人たちのために捧げられた記念碑で、あたり一帯には2711基もの数の記念碑が並んでいます。通常の街並みのなかに突然現れる圧巻な光景でした。
地下には、ホロコーストに関する資料館もあります。
落ち着いて歴史に想いを馳せられる空間かと思いきや、子供が追いかけっこしてたり、インスタ映えする写真をとろうと石碑によじ登る観光客がいたりと様々でした。
捧げられるのがユダヤ人を限定とするのか、ロマやジプシー、同性愛者たちも含めるのかなどとの論争はあるとのこと。他にも、ホロコーストで虐殺された同性愛者たちのための記念碑も別にあるらしい。
そうやってベルリンを観光しているうちに、ハンブルクへ戻るバスの時間が近づいてきました。
16:50出発で、お馴染みのFlixBusでハンブルクへと帰ります。
そして、ハンブルクについたら友人宅に1泊とめてもらいました。
明けて3月7日の正午にハンブルク空港から出発し、帰国となりました。
そんなこんなで、多少あわただしい2週間の北ドイツ周遊の旅の幕は閉じられました。
これを書いている2021年現在、当時20歳になったばかりの自分の旅をふりかえってみて。
ゲイなんだからもっとゲイゲイしい経験もすればよかったのにとは思いますね。
特に、ベルリンにはクィア作品限定の美術館があったり、大きくて有名なゲイクラブがあったりと見どころはたくさんあっただろうに、と思います。
ただ、当時20歳の自分が見知らぬ国の1泊か2泊かしか滞在しないような街で夜に性の香りがむんむん漂うダークなプレイスにゴーできたかと言われれば、そんな大層なことをする勇気はまだ無かったでしょう。
初体験が19歳の頃だったので、ゲイとしてもまだビギナーだったんですよね。
なので、もう一度ドイツにいく機会があるとすれば、ベルリンに長期間滞在してみたいですね。
そして、もっとディープなゲイやクィアカルチャーにふれる経験をしてみたいです。
私の好きな作家さんにKayama Tetsuさんという方がいて、その方が現在進行形でベルリンに在住しながらベルリンでの経験を漫画作品にしていて、興味深く拝見しています。おすすめです。
ということで、20歳のゲイデビューしたてのゲイが旅した、北ドイツ旅行記はこれで終わりとなります。
おしまい。
2017/03/04ドイツ旅行⑦ベルリンへ
前回はこちら↓
ドレスデンで目覚めました。爽やかな朝日が差し込みます。
滞在していたホステルをチェックアウトしたあと、昨日見たドレスデンの電車が集まっている駅が気にかかっていたので見に行きました。
さて、今日はドイツのゲイタウンことベルリンに向かいます。
向かうのはお馴染みFlixbusという中長距離バスで。
10:00出発のバスに乗り込みました。
FlixBusでベルリンに行くと、まずZOBと呼ばれるベルリン・セントラル・バスステーションというところに着きます。
このベルリンセントラルバスステーションは、いわゆるベルリンの見所などの観光地が集まったエリアからは少し離れた、西の方にあります。
そのため、バスから降りたあとは地下鉄を使ってベルリン市内中央部へと向かう算段です。
S-bahnという地下鉄のMesse Nord駅からKaiserdamm駅へ向かい、そこからPotsdamer Platz(ポツダム広場)」へと向かいます。
この日の記憶が曖昧なのですが、絵画館と教会に行ったようです。
このポツダム広場から近いベルリン美術館の一角にあります絵画館へと向かいます。
ベルリンについてまず思ったのは、都会。東京の新宿みたいに看板とか広告とかで氾濫としている様子ではないものの、人の往来の多さや、高いビルが立ち並ぶ感じが都会らしさを感じさせます。
また、地下鉄駅の階段を上ってすぐ目に入ってくる街中の壁などに描かれたグラフィックアートや、ピアスをバチバチに開けた若者、髪の色がピンク色の女性、古い煉瓦造りの建物をリノベしてカフェにしたような路面店。なんだか、これまで回ってきたドイツの都市とは全く異なる雰囲気が漂っています。
古い建物と新しい建物が同じくらいの比率で存在して、古い建物も新しい用途で使われている様子。そして、歩き回っている人々が自由な感じ。なんだか街そのものが「自由」な空気感をまとっているようでした。
ベルリンはゲイシーンが熱い、先端的な街である、というバイアスが事前にかかっていたからでしょうか。
絵画館ことGermaldegalerieはポツダム広場から歩いてすぐのところにあります。
なぜこちらの絵画館に行ったのか。
まず、美術館にはクロークやロッカーがあるので私の重いバックパックが預けられること。そして、ここにはフェルメールの作品『真珠の首飾りを持つ女』など有名な絵画や、私の好きな宗教画が展示されているからです。
館内はほとんど混雑しておらず、国際学生証を発行していた私は安く入館できたので、落ち着いてかつ穏やかな気持ちで見て回ることができました。私は日本にいるときも、ディズニーランドなどの遊園地に行くより美術館や博物館に行く方が好きです。
こちらの絵画館は展示数も多くて、ベンチも多くて、見所がたくさんありました。
こちらはあの、海をザバーと分けて脱エジプトをしたモーセです。高校生の頃、この絵画の画像をSNSのアイコンにしていた同級生がいたので記憶に残っていました。
館内は結構広く、全て見て回るのにかなり時間がかかりました。
絵画館を出て、さてこれからどうしようといったところ。実はベルリンで何をするのか何も決めてないのです。ベルリンでは長めに2泊する予定ですが、なんせゲイシーンが盛んと聞いていたので、とにかく街だけでも見ておこうと思ったのです。観光は二の次。
ベンチに座って地球の歩き方を見ていると、いい感じの教会が歩いて行ける距離にあったのでこちらへ向かいました。
カイザー・ヴィルヘルム記念教会です。
比較的都心に突然現れます。
もともと、初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世に敬意を表して建てられたロマネスク様式の教会だそうですが、1943年の空襲で、教会内部はほぼ破壊されてしまったそうです。
もともとは、画像のようなモザイク画が全面に施された、それはそれは壮観な様子だったそうです。
教会部分が空襲で破壊されてしまったため、すべて取り壊しか、となったそうですが「戦争の悲惨さを忘れてはいけない」という声から、残った部分はそのままに、教会部分は新しく建築することになったとか。
その新しい教会内部が特徴的で、新たな観光名所として有名になっています。その教会内部がこちら。
入ってみると、薄暗い空間に蝋燭の明かりがぽつんぽつんと見え、正面に構えるこちらの青いステンドグラスに目を奪われました。
約2万枚以上ものステンドグラスを使用しているそうです。
オルガンなどもあって、コンサートが開催されたりもするそう。
教会とくればベンチがあり、静かで、先に述べたように私のような徒歩パッカーの休憩スポットです。この教会内部のベンチに座ってぼーっと長い時間を過ごしていると、まるで深海に沈んでいくようでした。
教会にいる、というより水族館にきているようでした。白く明るいはずの太陽光が、ステンドグラスを通って床や壁部分に、波紋のように反射している様は見事でした。
おすすめなスポットです。ケルンの大聖堂のように観光客でごったがえしている、という感じでもなかったので、ベルリンに行く際は立ち寄ってみることをおすすめします。
さて、教会を出た後は、街を散策しながらホステルへ向かいます。本格的な観光地巡りは明日以降にすることにして、今日はぶらぶらするだけ。
焼いたソーセージにカレー粉とケチャップをかけたベルリン名物を露店で買って食べたり、おしゃれなTシャツ専門店をひやかしたりしながら散策しました。
なんだか、ベルリンは住むのに良さそうです。
以前Podcastで聞いた話で思い出すのは、ベルリンにはアーティストや若者などが集まってくるそうです。ただ、理想的な仕事が見つからず、ベルリンを離れるひとも多いとか。そのため、家賃相場は上昇傾向にあるとか。
私が中学生くらいの頃に好きだったコミック・エッセイストの小栗左多里さん。『ダーリンは外国人』などの作品で有名な方ですが、その方もベルリンに移住されていた経験をエッセイにされていたので、興味深く街並みを見て回りました。確かに、都会特有の自由な空気感があるのに、ゴミゴミと混み合っていなくて住みやすそうだと感じました。
さて、ベルリンで2泊するのはこちら、Pention Reiterです。
主要駅から近かったこと、個室でシーズンオフで安かったことが決め手でした。
チェックインするときにレセプションに一人で座っていた男の人が、タトゥーばりばり、ピアスごりごり、カーリーヘアな短髪の男性ですごくクールにキマッている方でした。そこも、ベルリンっぽい〜と内心にて気分が高揚していたのを覚えています。私もタトゥーいれたい。
廊下が一日中灯りがついておらず真っ暗で、部屋の扉も薄かったですが、広々とした部屋にダブルベッドかセミダブルくらいの大きさのベッドがぽつんと置いてある簡素な部屋でした。必要十分です。
のちに、私はこの部屋にペルシャ人男性ゲイを呼んで致すことになりますが、それはまた次のお話...。
つづく。
2017/03/03ドイツ旅行⑥ドレスデン
前回はこちら↓
いまだ体調不良をかすかにひきずる体を5:00ごろに素早くひっぱたいて起き上がりました。朝です。
本日2017年3月3日、ひな祭りの日には、早朝バスで古都ドレスデンへ向かいます。
毎度お馴染みFlixBusを使って、7:00に出発し、8:35にドレスデン中央駅に到着しました。
ドイツ各都市を周り、大抵中央駅があるし、中央駅にはロッカーがあります。でっかくて重たいだけのバックパックをロッカーに押し込み、いざドレスデン観光へと参ります。
実は、最初はドレスデンにくる予定は無かったのです。
ハンブルクの現地在住の友人が、北ドイツを回ってライプツィヒに行くのなら、近くにあるドレスデンは景色が最高だから是非寄ってみるといいよと教えてくれたのです。そのため、急遽旅程に付け加えた感じ、そこまで期待していませんでした。日本でいう京都みたいなもんかね〜といった感じ。
ドレスデンという街は、エルベ河の谷間に位置している街です。かつて、約100年ほどドイツに存在していたザクセン王国の都だった地でもあるそうなので、そのころの面影が残る建造物など、旧市街などが観光名所だとか。
全然関係ないのですけど、「ドレスデン・ファイル」という海外ドラマがありましたね。アメリカのファンタジー系ドラマだった記憶があります。あれはなんでドレスデンだったのでしょう。
どこから周ったらいいかわからなかったので、とりあえず大きな広場へと向かってみることにしました。Theaterplatz Dresden、劇場広場といったところでしょうか。
広場にはこんな銅像が。
そして、このザクセン王国ヨハン王は芸術や音楽を愛したそうで、そんな彼が建設を発注したオペラハウス・ゼンパーオーパーがこの広場に面する形で立っています。
このオペラハウスの近くに観光名所として有名なドレスデン城があります。
ドレスデン城には、王国の秘宝や豪華絢爛な内装で有名な「緑の丸天井」が観られるということで向かいました。
緑の丸天井に入るには事前にオンラインでチケットを予約する必要があったのですが。
なぜか予約していたはずのその丸天井に入るチケットが買えなかったのです。窓口のひととのコミュニケーションもうまくいかず、人生初ヨーロッパ旅行の旅の疲れも相まって私は食い下がることを諦めました。
しょうがなく、ドレスデン城のなかを見たり。ドレスデン城外壁にある「君主の大行列」を見に行ったりしました。
こちらです。
実はドレスデン、戦争で焼け落ちた歴史があります。その戦火を奇跡的に逃れたものがこちらの君主の行列だそうです。歴代のザクセン王国の王様たちが描かれています。
陶器で有名なマイセン、そのマイセンのタイルで作られたこの外壁は、幅が約100メートル、高さは10メートルほど。使われたタイルの数は2万5000枚もの数だそうです。
陶器で有名なマイセンの街はドレスデンからも近く、マイセンの作品を展示している美術館が、次に行くツヴィンガー宮殿内にもありました。
こちらの宮殿は、その美術館だけでなく大きな庭園も併設しています。
バロック様式で建てられたとても広大な宮殿。噴水やベンチもあって、一休みもできる美しい中庭です。
写真中央、中庭から見えるのは「王冠の門」です。
上部の上品な青色の冠部分が見事ですね。一緒に写っている人のサイズと比べても結構なサイズです。
王冠の形をしたブルーの冠の上に、また小さな黄金の王冠があしらわれています。
バロック建築やバロック音楽のバロックとはもともと「異常な」「いびつな」とかといった意味のもつ言葉です。ポルトガル語の「Barrocco」が語源だろうとされていて、商人たちが完璧な形ではない、いびつな真珠のことを表す言葉として使われていたという説があります。
それまでの完成された、完璧な様式美が特徴のルネサンス様式の流れに対して、より装飾過剰に、豪華に、表情豊かにを特徴とするバロック様式。ルネサンス様式が丸くて綺麗な真珠だとすれば、その後に出てきたバロック様式というのは、それに対する「いびつな」真珠なのかもしれません。
この時点で、なんだか私ドレスデンのことを好きになりはじめていました。いいところです。
美しさの種類が穏やかで、黙っていて、堅牢です。無口だけど頼りになる体格の良い上司、みたいな安心感があるのかもしれません。
観光地ですが、観光客でごった返していることもなく、全体的に落ち着いた雰囲気が流れているのも好感をもてます。
宮殿を出て、しばらく旧市街をぷらぷら、あてもなく歩いてみてもこの迫力です。なんでもない建物であっても、静かなプライドみたいなものを感じさせられます。
久しぶりの日本食、いいな〜。ちゃんとしたレストランでちゃんとしたご飯、食べたいな〜。と思いながら通り過ぎました。貧乏旅行なのです。ヨーロッパ旅行で削れるのは食費なのです。
次はフラウエン教会に向かいました。「聖母教会」です。
美しい旧市街の街中でもひときわ目をひく大きな教会であるフラウエン教会。もともとは11世紀に建てられたバロック様式のプロテスタント教会です。
でも、第二次世界大戦のドレスデン大空襲によってバラバラに倒壊。しばらく瓦礫のまま放置され、東西ドイツが統一されたあと、1994年に再建工事がはじまって今の姿になったとのこと。
そんな教会がこちら。
写真を撮るのが死ぬほど下手くそですがその大きさが伝わるでしょうか。確かによくみると、外壁はジクソーパズルのように色や形の異なる石が組み合わさって作られています。
このフラウエン教会の内部がよかったんですよ。
荘厳。白と金の組み合わせのなんて美しいこと。そして、ベンチが多い。
やっぱりここでも、しばしぼーっと一休みです。ヨーロッパをバックパッカー旅行する際の休憩スポットはやはり教会です。大抵どこの街にもあるし。飲食はきっと禁止だと思いますが。
ドレスデン、いい感じの街じゃん。自分の企画だけだと知りもしなかった街だったので、存在を教えてくれた友人に感謝です。ありがとう。
フラウエン教会の近くにもうひとつ、大きな教会がありましたが、こちらは内装工事中とかで、中に入ることができませんでした。今、改めて地図で調べてみると、カトリック旧宮廷教会だそうです。
ドレスデンは旧市街と新市街とをエルベ河で分かつ街です。
この橋を渡った向こう側は新市街。そして、「風景の額縁」とよばれる有名な観光スポットがあるそうなので、この橋を渡っていきたいと思います。
っていうかエルベ河が良すぎる。
やっぱり私、大量の水が、大きな川が流れる街が好きだ。
でも東京で荒川とか隅田川の近くに住むのとは違うんだよなあ。京都の鴨川の近くに住むとかはどうなんだろう。
ヨーロッパの、というかドイツの川はなんだかこう、とても静かで、泰然自若、といった構え。すごく安心感があります。歴史も感じさせられますし、不思議と畏敬の念が湧いてきます。私の生きた年数なんてクマムシくらいの規模の小ささだと、まざまざとつきつけてくる、お前ら人類はちっぽけな存在なんだと教えてくれる、それがドイツの川。
さて、さきほどのアウグストゥス橋を渡って、橋の向こう側へと歩みを進めます。
途中、橋の上で不思議なものに出会いました。
突然。葛飾北斎パイセンじゃないっすか〜ちっす〜元気してた?
調べてみると、このアート作品は2002年8月にザクセン州を襲ったエルベ河の氾濫、大洪水を忘れないように設置されたものらしいです。が、なぜ葛飾北斎なのかは謎です。
橋を渡り終わると新市街です。
橋を渡りぷらぷらと歩いていると、うわさの「風景の額縁」を見つけました。
なんでも、ここから写真を撮ると、ドレスデンの旧市街の街並みがまるで絵画のように美しくとれるとのこと。観光スポットっぽい。あまりにも観光スポットっぽさがドレスデンの街の荘厳さにアンマッチな感じがして、少し可愛げのある試みです。
地図上ではCanaletto-Blickとなっていますね。川沿いを歩いていれば普通に見つかります。
れっきとした観光客である私も一枚、撮ってみました。
どうでしょうか。
相変わらず写真が下手ですね。
そんなこんなで、旧市街も新市街も堪能したので本日の宿へ向かうことにしました。明日にはベルリンに向かうのです。相変わらず忙しい旅程です。
ドレスデンで滞在した宿はHotel Burgkというホステルでした。
検索してもヒットしませんでしたが、ここらへんでした。ちょっと駅から遠かったかな。普通の住宅街のなかにあるホステルのような場所でしたが、個室で安いとこがよかったのでここにしました。
ホステルまでの道は少し迷いましたが、受付の女性も感じの良い女性でした。
ドレスデン、かなりいい街でした!今のところドイツ旅行のなかで一番いい感じだった街はドレスデンです。
スーパーで買ってきた食材をつまみながら、明日のベルリン行きの情報を集めます。
相変わらずのインスタントパスタ、みかん、サンドイッチ生活です。左に見える茶色い液体は炭酸がシュワシュワしているリンゴジュースみたいなやつです。ドイツのスーパーの「Ja!」というプライベートブランドがなんでも死ぬほど安くて仰天です。
サンドイッチの写真で今回はお別れです。
明日、次回はベルリンへ向かいます。ゲイの街、ベルリン!
つづく
2017/03/02ドイツ旅行⑤ライプツィヒ
前回はこちら↓
誰が読むかわからないこんなしょうもないブログを書くモチベーションが第四回目でもう途切れてきました。
ボンを夜に出発し、高速で走る緑の長距離夜行バスで糸がぷつりと切れたように爆睡していたら、いつのまにか到着していました。西ドイツから東ドイツへひとっ走りです。爆睡したおかげで体調が少し回復したかな?
11:40ごろにライプツィヒの中央駅に到着しました。
ライプツィヒの第一印象。そこはかとない団地感。なぜ。
ライプツィヒは数々のクラシック音楽家ゆかりの地でもあり、二つの有名な教会とバッハ博物館に行くことが今回の滞在の目的です。
正直、ライプツィヒの街の記憶があまりないのですよね。まあこれを書いている今2021年からすると4年も前のことですが覚えてないのも仕方がないのかもしれません。
こちらのゲーテ像は、旧市庁舎裏のナッシュマルクトという広場に立っています。大学生の頃、ゲーテはライプツィヒに滞在していたからだそう。
書く気力も書く記憶も少ないので、私が好きなゲーテの詩を引用しますね。
Wandrers Nachtlied
Über allen Gipfeln
ist Ruh,
in allen Wipfeln
spürest du
kaum einen Hauch;
die Vögelein schweigen im Walde,
warte nur,balde
ruhest du auch!
さすらい人の夜の歌
すべての山の頂きに
安らぎがある
あらゆる梢に
お前は聞くことはない
風の吐息を
鳥たちは沈黙する 森の中で
ただ待つのだ すぐに
お前もまた安らぐのだから!
シューベルト という作曲家がこちらのゲーテの詩に曲をつけています。拙作Podcast「今夜もここにゲイがいる。」の第五話↓の一番最後
で私がその歌を歌ったときの音源を載せているので興味があったら御試聴ください。未熟な学生が歌った拙いものですが、当時のことを振り返るといろいろと思い出すものがあります。
さて、ライプツィヒ観光。疲れている暇はありません。
まず、向かったのは聖ニコライ教会。
ライプツィヒの二大教会のうちのひとつである聖ニコライ教会。
一体どんな教会なのでしょうか。ググってみましょう。
「後期ゴシック様式の外観に創建当時のロマネスク様式の面影が残る一方、新古典主義様式の内部には教会とか思えないような棕梠の木をかどった列柱が立ち並ぶ。」
ちんぷんかんぷんです。
棕梠の木。シュロ、と読むらしい。どうやらヤシの木の仲間のようです。
ほんで、実際に教会内部に入ってみました。こちらです。
確かに、ヤシの木と言われればそれっぽく見えますね。
聖ニコライ教会はライプツィヒ市内最古の教会です。また、東西ドイツ分裂時代には、平和のあり方を考える集会、”平和の祈り”が開催される場所としても市民に開かれていたそうです。
ドイツをしばらく回ってみて感じるものとして、大抵どこの街にも大きな教会があるなと思いました。教会は、人の往来も少ないので、重たいバックパックを背負いながら歩いて旅を続けている旅行者にとっては、誰にも邪魔されずに、静かに体を休めて座っていられる素敵な場所でもあります。
日本の寺や神社も大抵の街にはありますが、屋内で雨風がしのげて、座って休めて、といったイメージはないですね。
旅の疲れが少しとれたら、次の行動へ移しましょう。
ライプツィヒ二大教会のうちの二つ目、聖トーマス教会へ向かいます。
聖トーマス教会。こちらはあの有名な作曲家バッハと深いつながりのある地です。
バッハことヨハン・セヴァスティアン・バッハが27年間、こちらの聖トーマス教会にて、オルガン奏者兼合唱団の指揮者として活躍したそうです。その間に、数々の名曲が生まれました。ヨハネ受難曲やマタイ受難曲なんか。
トーマス教会というと、トーマス教会少年合唱団も有名だそうです。
もともとあったトーマス修道院が解散し、ルター派の聖トーマス教会となった、と。名を同じくしてトーマス学校というのも児童養護施設からはじまり市立の寄宿学校になり、そこから輩出された少年合唱団も市有のものとなった、そういう歴史もあったようです。
うまくタイミングもあえば、私も少年合唱団とこのオルガンの演奏も聴くことができたのでしょうが、ライプツィヒ滞在は1日限りですのでその機会には恵まれませんでした。
外に出るとこいつがいました。
バッハの像です。実はこの聖トーマス教会の近くには、バッハ博物館もあるのです。
バッハ博物館には、当時の自筆楽譜や楽器、バッハ家の家系図やその歴史など、バッハにまつわる様々なことが展示されている施設です。
私個人として、バッハがそんなに大好きというわけではありませんが、ここまで来たからには立ち寄るしかありません。外は曇ってて寒いし。ぶっちゃけ、もうこのあたりから旅に疲れ始めてきていました。
ふう〜ん、とあったか〜い、を繰り返しながらバッハ博物館の中を見て回りました。
博物館をあとにしたらもうライプツィヒでの観光目的はほぼ達成です。
さて、どうしようと思って地球の歩き方をパラついていると、ゲヴァントハウスというのが近くにあるとあったので行ってみることにしました。
ゲヴァントハウスとは、言ってしまえばコンサートホールです。
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の本拠地でもあります。
ゲヴァントハウス管弦楽団は、1743年にたった16人の音楽家によって発足した音楽会から始まったそうです。そこから、いわばビジネスとして、商売としてコンサートをしていく、そのはじまりの地でもあります。
こんなもんでしょうか。旅に疲れ始めていたのか、残っている写真ももうありません。
明日にはドレスデンへ向かうのでそろそろホステルに向かいましょう。
ライプツィヒではこちらに泊まりました。
ヘンチェル・アパートメンツ Hentschels Apartmentsです。
ライプツィヒ中央駅から近かったこと、個室で安くなっていたことが理由でした。トイレとシャワーバスは共有でしたが、大きくて綺麗なバスタブがありました!でも、共有のバスシャワーでじっくりバスタブに浸かることもなんとなく気がひけてしまう気遣いジャパニーズマインドが発生してしまった為に、さっと湯船に使っただけで出たことを覚えています。
湯船につかる、っていいですよね。死ぬほどめんどくさいけど。
さて、暖かい湯船に使ってベッドでぐっすり寝たら、明日は朝早いバスでドレスデンという街へ向かいます。
つづく
2017/02/27~03/01ドイツ旅行④ボン
前回はこちら↓
2月27日の12:00頃にケルン中央駅を出発し、電車(IC特急)にてボン中央駅へと向かいました。
ボンでの大きな目的は2つ。ベートーベンの家に行くことと、シューマン夫妻の墓を見ること。そして近郊の「龍の山」と呼ばれている観光地に行くことを目的としていたので少々長めに2泊を予定していました。
手ごろな個室宿が見当たらなかったので、今回ボンで滞在するのはアパートメントタイプの普通の住宅街にあるお部屋をbooking.comで予約しました。「Bonn-Südstadt Apartment Whitesmoke」というサービスアパートメントです。いま検索してみるとトリバゴにしか出てこないですね。
ここらへんにありました。
普通の住宅街のなかにあるので、結構見つけるのに苦労しました。オーナー?の方が建物の前で待っていて鍵を渡してくれる、という段取りで連絡が来ていたのですが人が見当たらずしばらく右往左往していました。
とりあえず重たいバックパックを早く肩から下ろしたいので早速部屋に入ります。
天井照明器具の癖が強い部屋でした。oh.
そしてアパートタイプなのでキッチンがあるのです!自炊ができる!安くたくさん食べれる!やっと!ドイツ旅における初栄養のある調理済みの食事!サンドイッチとリンゴとハーブティー以外のものをやっと食べれる!
実はこのボンにたどりついた時点で常に微熱を帯びて、体調も悪化する一方だったんですよね。ですので、ボンでは予定をつめこめずゆったりと、街に仮に住むようなかたちで滞在しようかなと考えを改めていました。
自炊用に買い込みました。2泊にしてはちょっと書いすぎた量でしたが、いかんせんこれまでの旅であまりものを食べてきていないので自炊できるキッチンに舞い上がってしまいました。
画像のパスタはそれぞれ1袋で60円くらいの安さ。驚きました。パスタや塩、野菜や果物など生活に必要なものが安い、ドイツ全般を通じてそういう印象を受けました。
写真右奥に見えるオレンジ色の筒は、マルチビタミンのタブレットで、水に溶かすとシュワシュワと溶けてジュースのようになって飲めるものです。いかんせん風邪っぴきなので。
尖った形のキャベツ。珍しい形でしょう。
日本でよく見る丸いキャベツもドイツには売っていますが、生食用ではなくザワークラウトなどに使うらしいです。日本のキャベツのように千切りで生で食べたりする、比較的やわらかなキャベツは、ドイツではこの尖った形のもの、と聞いて買ってみました。
とりあえず、トマトパスタと、野菜スープとマルチビタミンをとって少し寝ました。
完全に病人の過ごし方です。せっかくの海外旅行なのに。
下着や靴下類などの洗濯物も洗面台で手洗いして干します。シャワーのお湯が出ず難儀しました。オーナーに連絡してみると、時々出なくなるからお湯は管を叩けば出るわよ、とのこと。そんなアナログな。
休憩したら、もう外が暗くなってくる時間になっていたし、気力もなかったのでそのまま寝ました。ボン滞在初日は家事と休養で終わってしまいました。
明けて2017年2月28日。
予定では27日の昨日の段階でボン市内の観光を済ませ、今日の28日はボンから30分程度の場所にある「竜の岩山ドラッヘンフェルス」という、ニーベルンゲンの詩という中世の叙事詩に出てくる英雄のジークフリートがドラゴン退治をした地に行く予定でした。
予定外に体調を崩し、寝込み休憩しながらの滞在になったので今日はボン市内の観光に徹したいと思います。
ケルンとアーヘンに続き、やはりここボンでも薔薇の月曜日、カーニバルのパレードに遭遇しました。しかもかなりの盛り上がりで、人々が列をなして、山車から投げられるお菓子を拾っています。人混み怖いよ。あと、箱に入ったお菓子とかも投げて配っているので、箱の角が頭に当たってめっちゃ痛かったのを覚えています。
まずはベートーベンハウスへ向かいます。
ベートーベンハウスは、ベートーベンの生家を博物館にした施設で、作品の展示やアーカイブスなどのほか、ベートーベン以外の現代音楽の企画展示なども楽しめる施設です。
全然関係ないですが、地図を見ると、ボンという街は大学もあることから学生の街なことがうかがえますね。
音声ガイドも日本語があります。
なかには、自筆の楽譜の展示や楽器のほかに、ベートーベンと言われれば皆が想像するであろうあの肖像画も飾ってあります。
あと、死んだ直後の顔をかたどった、デスマスクも展示されていました。
デスマスクを作る文化、日本にもあるのかなあ、生き仏みたいなもんだろうか。などと考えながらぷらぷらとひとりで中を見て回りました。韓国や中国など、アジア系の訪問客が多いらしいです。
ベートーベン作品を聴くことができるデジタル・コレクション・スタジオという新しい施設も併設されていました。人気がなく、椅子もあって静かでヘッドフォンしていれば永遠に居座れそうな場所だったので、病人だった私はここでしばらく呆けていました。疲れちゃって、もう。
気を取り直して、ベートーベンハウスをあとにします。
次に向かうのはシューマン夫妻の墓。ロベルト・シューマンとその妻クララ・シューマン。どちらも好きな作曲家で、一度お墓参りに来てみたいと思っていました。
妻のクララを題材にした映画もあるので是非一度ご覧ください。アヘンに溺れ、精神を病み結局自殺してしまったシューマンを最期まで支え、シューマンの死後も音楽家として活動したクララ。私の好きなブラームスが陰ながら恋をしていたといわれるクララ。シューマン(ロベルト)とクララ、ブラームスの三角関係はとても趣深いものがありますので、興味のある方はぜひ一度調べてみてください。奥手なブラームスがいじらしくてもう...。
さて、シューマン夫妻の墓はこちらにあります。ボン旧墓地という集合墓地で、ベートーベンの母親の墓などもあります。
さて、いざ墓参りでござると、墓地内の地図を頼りに目的の墓へ向かいます。
はい、どん。
工事中でカバーに覆われていました。
なんてタイミングでしょう。365日、何年、何十年ものなかで私が訪れたこのタイミングで工事中だなんて。というか、墓が工事中とかあんの?ジャパンから来とるんやで我?
少々憤りましたが仕方ないと諦め、手を合わせて帰りました。
さて、もうボンでの目標は達成してしまいました。
グミで有名なハリボーの工場などもボンにはあるのですが、少々町の中心部から遠く、なんせ気力も体力もないのでボンの街中を無目的に散歩することにします。
コンサートホールを見つけました。
このオペラハウスの脇の道をずっと行くとライン川に面した川縁に出るのですが、そこはベンチが点在するまっすぐな通りで、現地のランナーたちが軽快な走りを見せていました。こんな寒いのに。
やはり、ハンブルクの記事でも書きましたが、大量の水が流れる大きな川のある街に住むことに憧れがあります。一体何時間、何万年もの間、どれほど長い間この川はずっと流れていたのでしょうか。
ライン川はドイツだけでなく、ヨーロッパを広く流れる川です。スイスアルプスからはじまり、私が行ったケルンやボンを通り、オランダに流れ、最終的には北海に流れ出ます。全長は1233キロメートルですって、数が大きすぎてピンと来ませんね。
寒空の下、具合が悪いのに、買ったチーズを食べながらベンチに座って数時間、流れるライン川を眺めていました。
そんで、帰ってまた自炊して、洗濯の続きをして、薬飲んで寝ました。
またまた明けます、3月1日。ついに3月に入りました。ボンでは寝てばかりです。
3月1日の夜、21:20発のバスで東ドイツのライプツィヒへと向かう予定です。
今回もFlixBusを利用しますが、西ドイツのボンから東ドイツのライプツィヒまでをぐわっと夜行バスで横断しますのでなかなかの距離です。3月2日の11:40にライプツィヒ到着予定だったので、ざっと計15時間くらいバスに乗ることになります。
そんな深夜の出発まで何をしていたかというと何もしてませんでした。寝たり、乾いていない洗濯物をドライヤーで乾かしたり、スーパーで夜行バスの中で食べるチーズや軽食を買ったりして呑気に過ごしました。
強いて言えばひとつ、事件があったのです。
ボンにおいて、FlixBusのバス停がここだったのですが、
美術館の裏手にあるのですね。
バスの出発が21:20だったので、21:00にバス停について待っていればいいかあと思って宿をチェックアウトしたのですが、このバス停の近くが真っ暗で。
人気の少ない裏通りのようになっていて、ぽつんぽつんと立っている街頭の下には煙をくゆらすやんちゃな格好をした体格の良い若者たちがたむろしていました。
私が21:00ごろにバス停に着いた時、バスを待つ人は誰もおらず、その近くの暗がりでたむろしているお兄さんたちが私に目をつけたようで近付いてきました。
こちとら、華奢で背も低い、風邪っぴきのジャパニーズです。しかもゲイ。向こうに悪意はないかもしれないけれど、どう見てもヤンキーだし、どう嗅いでもマリファナっぽい匂いがするし、できれば関わりたくありません。
結果、
バス停から少し離れた、近くの美術館のライトアップされている正面玄関らへんの地べたに座ってバスを待つことにしました。
寒かったです。
LitterSportsという正方形のチョコレートがドイツでは有名なのですが、そのチョコレートを食べながら、Podcast番組「明日もゲイ」をイヤホンで聴きながら、地べたに座っていました。
ホームレスだと思われたのか、一度、美術館から出てきた老齢の女性に声をかけられましたがドイツ語でしたし、向こうもそこまで関わりたくなかったのかすぐに離れていきました。
私としても、できれば暖かい場所で怪しいことなく待っていたいですがしょうがないじゃないですか。ここなら防犯カメラもあるし。
ダウンコートで着膨れした風邪ひきのジャパニーズが凍える頃、遠くのバス停の方に見慣れた緑色のバスが来るのが見えました。あのときの安堵感は今でも思い出せます。
ひとりで旅をするというのは、どこまでいってもひとりです。でも、誰かと一緒にいても人は皆、つまるところひとりですし。何の話をしているのでしょうか。
バスに乗り込んだら、コンタクトレンズを外して寝る準備をしました。トイレもついているこの長距離夜行バスに乗って、15時間くらいたった翌朝には、目的地のライプツィヒについているはずです。
さよなら西ドイツ。
つづく。