2019/03/04〜03/19ポルトガル・スペイン旅⑨サン・ヴィセンテ岬へ、そしてサグレス要塞
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さてラゴス滞在中の2019年3月11日。今日はいよいよ今回の旅の最大の目的地、沢木耕太郎『深夜特急』の旅の最終地点としても有名、ユーラシア大陸最西南端のサン・ヴィセンテ岬へと向かいます。
私、これを書いている2021年の今の今までずっと「サン・ヴィンセント岬」だと思っていましたが、原語表記はCabo de São Vicenteなので「サン・ヴィセンテ岬」ですね。どこで勘違いしたのでしょう。
サン・ヴィセンテ岬は、今いるラゴスからさらに西にあるサグレスという街のはずれにあります。ファーロからバスが出ていますが、ラゴスも経由するので私はラゴスを滞在地として選び、岬へのアクセス地とすることにしました。
着替えたら出発です。今日は暑さ対策も日焼け止めも塗り万全の姿勢です。
サン・ヴィセンテ岬行きのバスターミナルはここです。
奥まったところにありますが、チケットもこのターミナルで買えます。現金しか使えない場合があるのでご注意を。
そこまで大きくないバスターミナルですが、自動販売機とトイレくらいはあります。どちらも半分壊れているような感じだったので、食糧調達や排泄行為は他の場所で済ませてくるのをおすすめします。ベンチもきったねえんだ。
事前の他の人の旅ブログなどで調べていると、サグレスの街まで行って、そこから岬までは歩くか車、レンタルバイクしかないという情報でしたが、バスで岬まで直通している路線が出ていました。ラゴスからバスに乗りエンヤコラ、揺られます。
そしてバスに揺られること2時間ほど。サン・ヴィセンテ岬に着きました。沢木耕太郎の頃と比べたらなんてイージーな到着でしょう。
さて、肝心の岬の風景ですが。
こんな海風吹き狂う、海と空の他なにもないような場所でも植物はたくましく生きていました。
サン・ヴィセンテ岬のバス停近く、灯台の近くは観光客が少しいるので、少々距離をとって遠くに来てみました。崖にもどこにも柵など遮る建物などないのでどこにでも行けます。
崖って格好いいですね。
この海に反射する光の道を見て、わあ綺麗だ、輝いている、おっきい、広い、風が強い、きれいだね、きれいだ、美しい、きれいだね、わはは...わははは...きれいだねえ...なんて綺麗なんだろうねえ...となって少し泣いてしまった。美しいと感じるものを見て泣くなんて予想していなかった。感動して泣くとか嘘っぱちだろとか思っていたけれど、この景色を見て、この崖に立って、ここの風にもみくちゃにされていたら、なんだか泣けてきてしまった。
思えば遠くへ来たもんで。
しかも、ここですからね。
人を避けて、崖の上に座り海をボケ〜っと眺め続けていたら数時間が経っていた。
灯台の方に戻ってみる。
ロカ岬にも猫がいましたが、灯台で誰かが猫を飼っているのでしょうか、それとも野良でしょうか。灯台は現代では自動化されてしまって、灯台守りの職業もなくなってしまったと聞きますが、まだここに住んで猫をケアしているような人がいるんでしょうか。
さて、ここでうっかりが発生しました。なんと帰りのバスが、今日の分はもう来ないことがわかりました。
時刻表をチェックし忘れていたのですうっかりすぎますね。
周囲には、車を運転してきている観光客が大半で、みんな自分の車に乗って帰って行きます。
さて、どうしたもんか。
ヒッチハイク的に、誰かの車に乗せてもらうか。
それとも、タクシー的なものが車で待つか。
Googleマップで見てみると、一番近い街であるサグレスまでの距離はこれくらい。
地図では6kmとあります。サグレスまで行けば、電車なりバスなりタクシーなりでラゴスの宿に帰れるでしょう。地図に載っている、「Sagres Fortress サグレス要塞」というのも気になります。
歩いてサグレスまで行くことにしました。1時間歩くくらいならいけるでしょう。
歩き始めて30分くらいして、少し後悔しはじめました。
歩けるのですが、すぐ隣は崖なので吹き荒れる海風が冷たくて。暑さ対策で半袖で来たのを後悔するくらい身体が冷えるのです。足を動かして温めます。
サン・ヴィセンテ岬からサグレスまで歩く途中、何やら陽気な建物がポツンとありました。
こんなところに皿の家がありました。なんでしょう。
これを書いている今2021年、やっとこの建物がなんだったか、見つけました。インテリアショップで陶器作品を売っているところだったのですね。地図で見ると、この時点でかなりサグレスの街の近くにきていることがわかります。
まだまだ歩きます。
サグレスのあたりまで歩いてくると、サーファーやダイバーの格好をした人が多数見かけられました。そういうスポットなのかもしれません。崖も、サン・ヴィセンテ岬のものと比べてより緩やかというか、海に降りて行けるような崖も増えてきました。
そんなこんなで1時間半くらい歩いて、サグレスの街近くのサグレス要塞にたどりつきました。
地図で言うとここです。
徒歩できているアホは私くらいなようで、サグレス要塞の近くには駐車場がたくさんありました。車でみんな来るようです。なんなら、サン・ヴィセンテ岬も車でみんな行くようです。
だって、運転免許証持ってないのだもの。
沢木耕太郎『深夜特急』でも、歩けども歩けども着かないと書かれていたサグレス要塞です。
サグレス要塞とは、15世紀にエンリケ航海王子が設立したとされる、航海士を養成する学校があった場所でもあります。その住居や礼拝堂などはいまでも姿を残しており、当時の様子を感じることができるスポットだとか。
入場料は3ユーロくらいでお安かったです。クレジットカード払いもできましたが、電波が届きづらいのか何度も試していて面倒くさそうだったので現金持参をおすすめします。というか3ユーロくらい現金で払えよということなんですが...。出来る限りカード払いにしたかったのです。
サグレス要塞内にはノッサ・セニョーラ・ダ・グラッサという教会もあります。
そんなこんなで、予期せぬハプニングはありましたが、地の果てサン・ヴィセンテ岬とサグレス要塞を堪能できた1日でした。
ここから、ラゴスの宿に帰らなければいけません。果たして、交通手段はあるでしょうか。そうだツーリスト・インフォーメーションセンターに行こう。サグレスにもあるだろうか、Google マップで調べました。
ものっそいわかりづらい場所にツーリスト・インフォメーションセンターはありました。中にはかっぷくのよいおばさまが一人立っていて、英語はあまりわかってなさそうでしたが、ラゴス行きのバスならあると教えてくれました。しかも、今日の便はまだ残ってると。よかった。
結論、ラゴスからサン・ヴィセンテ岬までいけるバスは土日祝日を除いた日の、二本しか走っていないことがわかりました。しかも、サン・ヴィセンテ岬からラゴスへ帰れるバスの最終便は15:05です。はやい。どうりでみんな車で訪れるわけです。レンタルバイクなどで行くのも良いかもしれません。私の様に徒歩で敢行する場合は、歩きやすい靴と軽装で行くことをお勧めします。結構な距離を歩いて疲れました。
バス停で、キリスト教について大声で何かまくしたてる少し様子のおかしいおじいさまに絡まれたりしましたが、無事バスに乗り、ラゴスへと帰ってくるころにはもう日が沈み始めていました。
ホテルに戻り、疲れから爆睡し、起きたら夜でした。お腹が空いています。今日はいっぱい歩いてがんばったし、旅の最大の目的も達成できたからお祝いにレストランで外食なんてしちゃおうかな〜なんて思いながらGoogle マップでホテルの近くを調べました。
せっかくだから、パエリヤとか、魚介を使ったポルトガルの伝統料理とかそういうレストランに行ってみようかな〜なんて。
インド料理屋に行きました。
ちなみにここです。
Ashoka Indian Tandoori cuisineというインド料理屋でした。ビリヤニの写真が美味しそうだったもんでつい。
頼んだのは、ラッシーと、チーズナン、海老カレーとチキンビリヤニ。
海辺の町だからか、魚介、エビが死ぬほど美味かったことを覚えています。しかし、量が多かった。嬉しいことですが、節約旅行中の私の胃袋は幼稚園児のスニーカーくらいの大きさに縮小しているので、かなり多く感じられました。店の人にも、うちのは量が多いけど一人でそんなに頼んで大丈夫かと注文時に聞かれたのを覚えています。(結果、少しだけ、最後の一口が食べきれなくて残してしまった。本当にごめんなさい...。美味かったのに...。)
充実した1日でした。ユーラシア大陸最西南端を制覇したのです。沢木耕太郎とは違いバスでしたが。帰りは徒歩だったのでまあ似た様なもんかな。
サン・ヴィセンテ岬、おすすめです。
行かれる方は、車などの交通手段を確保することをおすすめします。そして、柵などはないので十分に気をつけて。
地の果て、ありました。水平線が広がっていて、太陽の光で海に道ができていました。
明日はいよいよラゴスからも、ポルトガルからも離れてスペインのセヴィリヤに向かいます。
2019/03/04〜03/19ポルトガル・スペイン旅⑧ラゴスにて休養、土産の調達
前回はこちら↓
前回、リスボンからポルトガル南のラゴスに到着した私。着いて早速、体調不良で寝込みました。
明らかに風邪の症状でしたが、風邪薬はもっておらず、頭痛薬と鼻炎薬を飲んでしこたま寝て過ごしました。
薬を寝て、汗をかきながら寝て起きてを繰り返し、朝を迎えた2019年3月10日。
少し回復していた私はとりあえず、ホテルの朝食バイキングに降りて行きました。なんてったってビュッフェスタイルです。貧乏性ですから、食べ放題では腹がはちきれるまで食べるし、米粒ひとつ残したら畑の神様から罰が与えられると育てられた人間です。そう考えると、ビュッフェという形式は、なんて飽食の時代を表しているのでしょう。ドイツの簡素な食事を思い出します。2017年にドイツに行ったときは、パン!バナナ!リンゴ!茶!以上!みたいな食事でしたので...。
泊まっているのは「Hotel Montemar」です。調べていただくとビュッフェの様子の写真も掲載されています。普通の朝飯スタイルです。
朝食はおいしかったです。この写真手前の甘くないシフォンケーキみたいなのがおいしかった。黄色いやつ。
ポルトガルでは、黄色い焼き菓子に多く出会いました。黄色いというか、卵を使った焼き菓子ですね。ベレンのパステル・デ・ナタしかり。これ、なぜでしょう。気になって調べてみました。
どうやら昔、修道院では卵の白身、卵白をアイロン掛け時の糊として使っていたようなんですね。シーツとかがパリッとするようにでしょう。それで、使わなかった卵黄の方を焼き菓子やパンなどに使ったとか。カスタードクリームなどを使った伝統的なお菓子が多いのもそういう背景があるようです。
トーストの上にチーズとハムとトマトを乗せて焼いて、バジルをかけたいわゆる日本のピザトーストみたいなのがポルトガルにもありました。あと、トマト。うめえ。なんてみずみずしいんだ。ロバのように食べました。写真には撮ってませんが、三皿目はトマトと水菜と辛いサラミだけを大量に食べました。
他の宿泊客もそぞろに着席しはじめます。人の数もまばらです。私の隣にはアロハシャツみたいなのを着た白人のおじいさまがおひとり。遠くの席には中国人家族連れが。あ、あっちの席にはヨーロピアンな老夫婦が。今食堂にやってきた人は、若くて日焼けしているからサーファーか何かかな...などと考えていたら隣のおひとり様御老人が声をかけてきました。
どこから来たの?と聞かれ、日本です。と答えたらそりゃまあ遠いところから来たね、と。ひとりで来たの?と聞かれ、そうです。と答えたら不思議そうな顔をしていました。
ラゴスはリゾート地です。言ってみればハワイやグアムです。確かに、ハワイやグアムは一人旅でいくところではないかもしれません。食堂を見渡しても若い、一人旅の人間は私しかいません。あら、ここでもまた浮いてしまったのね、なんて思いながら三皿目をたいらげました。
私は日本国内を旅行したことはあまりありません。学校の修学旅行で京都・奈良に行ったり、沖縄に行ったりしたことがあるくらいです。震災後の福島にも訪れたことがあります。
海外旅行したのは、初めての台湾旅行を除けば、いつも一人旅でした。よく友人に聞かれます。「一人で旅して楽しい?」とか「一人旅って寂しくない?」とか。
一人旅でも楽しいですし、スケジュール調整とか気配りもしなくていいので気楽です。なにより、私はどこにいても、何をしていてもずっと寂しいのです。そういう風に物事を捉えがちな人間ですので、むしろ、ひとりで海外旅行しているときは新しいものばかりの刺激に反応するので忙しく、いつも日常で感じている寂しさをおぼえる暇がありません。
そして、そういう類の人間はこの先何があっても多分ずっと、死ぬまで寂しいのです。寂しいなりにやれることをやるしかないのです。
朝食を済ませたら一度部屋に戻りました。やっぱりまだ体調が万全ではないようで、シャワーを浴びたらなんだか疲れてしまってベッドに沈みました。
昨日手洗いして干した洗濯物も生乾きです。ああ、洗濯物が揺れているなあ、今日はどうして過ごそうなどと考え始めます。
もともと、今日、目的地であるサン・ヴィンセント岬にいく予定でした。ですが、ラゴスからは距離がある場所なのでちょっと体力的に厳しそうです。このあたりで体調を崩すだろうなと予感してラゴスでは多めに滞在する予定をたてていたので、今日は休養日とすることにしました。
ただ、こんなにいい天気なのにずっと部屋にいるのももったいないです。しかし、この太陽ギラギラな街を長時間歩くのは、今日の体調では避けたい気分。Googleマップで近場をいろいろ見て探しました。すると、目に留まるものがありました。
Pingo Doce、どうやら現地のスーパーマーケットです。いえ、地図上では「ハイパーマーケット」となっていました。スーパーよりハイパーなのです。スーパー好きとしては気になりますね。
ポルトガル滞在もラゴスで最後になるので、日本の友人たちへのお土産をここで買うことにしました。
また、明日向かうサン・ヴィンセント岬行きのバスが出ている中央バスターミナルも見つけました。
ガイドブックには、隣町のファーロからサン・ヴィンセント岬まで行くルートしか載っていませんでしたが、ここラゴスのこのバス停も経由して、岬に行くことができます。明日のための予習として今日、ここに立ち寄りチケット料金の確認などもすることにしました。
なんてったって、岬に行ったあと、スペイン入り、すなわちセヴィリヤに行くバスに乗るのもこのバス停ですからね。事前のチェックは大事です。なんせクレジットカードが使えないところが多いのです、ポルトガル。手持ちの現金も少なくなってきているなか、出来る限りクレジットカード払いで済ませたい。
ラゴスの街を歩きます。暑い。帽子も日焼け止めも日傘も無い私、無力です。
そして行ってきましたスーパー、いえ、ハイパーマーケットのPingo Doce。
買ったものはこちら。
ポルトガル内では唯一とされている茶の生産地、アソーレス諸島で作られたお茶などを買えました。茶好きとしては試してみたいと思っていたものなので嬉しい。
あとは、「塩の花 flor de sal」と呼ばれる現地では有名な塩もいくつか。ポルトガル語の絵本も売ってたので買っちゃいました。
あと、リスボンの宿に持参して歯ブラシセットを置いてきたことに気づいたので買い足しました。
どこの国に行っても思うのですが普通サイズ、というか大人サイズの歯ブラシのブラシ部分の大きいこと。あんなんじゃ細かいところまで磨けないし、苦しくありませんか。旅先で買うのはいつも子供用です。(写真をよくみたら歯ブラシにcuida bebe、赤ちゃんケア用とか買いてありますね。これ赤ん坊用の歯ブラシだったようです。友人数名にお土産であげちゃった。)
この歯ブラシ、根元部分に吸盤がついていて、鏡とかにくっつけて干しておけるのです。賢い。
あと、体調不良で頭がイカれていたのか、写真フォルダに記憶には無い、バカのサンドイッチの写真が残っていました。みてください。
ハムとチーズとパンを買ったはいいものの、宿に冷蔵庫がないことに後から気付いたので慌てて消費するためにとった策がこれだったようです。しょっぱかったことだけは覚えています。
ポルトガル名物のバカリャウも買って食べました。干した塩辛い鱈をマッシュして揚げたようなものです。味は完全にさつま揚げでした。これ、俺、知ってる食べものだ。
そんなこんなでスーパーで色々物色したり、現地の物価から生活様式を推し量ったり、バスターミナルで明日の分のチケットを買ったり(買えた)、街中をプラプラ散歩していたら日が暮れ始めました。
しっかり休養もとれた1日となりました。
短いですがこの日はこんな感じで、特にスペシャルなことは起きずに終わりました。
明日はいよいよ、今回のポルトガル・スペイン旅行最大の目的地である、サン・ヴィンセント岬に向かいます。わくわくが止まらないね。
2019/03/04〜03/19ポルトガル・スペイン旅⑦リスボンから南のラゴスへ
前回はこちら↓
時は2019年3月9日。
今日はいよいよリスボンを去る日です。おさるのジョージ。情事。お猿の情事。
リスボンから長距離列車に乗りまして、ポルトガルの南のラゴスという街を目指します。なぜなら、そのラゴスという街から行ける「サン・ヴィンセント岬」を訪れるためです。
サン・ヴィンセント岬はユーラシア大陸最「西南」端の地としても有名ですが、あの沢木耕太郎の著作『深夜特急』にて世界一周旅行の最後の到達地点として筆者が選んだ場所でもあります。(実は筆者はこの岬を旅の終着地点としていますが、その後ロンドンかどっかに飛んだので実質上の最終地点とは少々異なるとかうんたらかんたら...)
朝起きましたら、
ポルトガル国内の長距離列車が多く通るハブ駅である「Oriente オリエンテ駅」へと向かいます。宿の最寄駅のモスカヴィデ駅からはなんとたったの一駅。
オリエンテ駅は建築的な美しさでも有名な駅だそうですが、それどころではありませんでした。
並んでいたチケットカウンター、旅行客でごった返していました。その長蛇の列に並んでいたら私の後ろにパーカーのフードと帽子をかぶった見るからに怪しい若者がスタンバイ。挙動が不振です。格好も旅行客のなかで浮いています。あ、スリだな、と私は直感的に思いましたので、スマホで日本語会話をするフリをしながら後ろを振り向き、そいつを見ながら日本語での会話(のフリ)を続けました。すると、そいつは列から離れてどこかに行ってしまいました。やはりスリだったのでしょうか。
問題はそこではないのです、問題は私が長く並んでいてやっと順番が回ってきたチケットカウンター。なんとそのカウンターでは、私が行きたいラゴス行きのチケットは買えないというじゃないですか。互いに拙い英語で、じゃあどこならそのチケットを買えるのかと問いましたところそのチケットカウンターは今私がいるところの反対側。かなりの距離でした。そして予定する発車時刻は間も無く。
走りました。走ってチケットカウンターを探しました。遠いね。
幸い、目当ての長距離旅行用のチケットカウンターは一人か二人しか並んでいませんでした。チケットを、ラゴス行きのチケットをくれ、すぐにくれ、もうあと三分くらいしかねえんだ、と息も絶え絶えに伝えたところ、面倒臭そうにレシートのようなペラ紙のチケットをくれました。何番のプラットフォームだよ、と親切にも教えてくれましたが、そのプラットフォームはなんと今いるところの反対側。
走りました。メロスは走った。メロスには政治とポルトガル語がわからぬ。
間に合いました。なんだかんだ、プラットフォームの自販機で飲み水とスナックを素早く買って飛び乗る余裕さえありました。
ホッと一息ついて列車の座席の写真なぞ撮っておりますが、この座席は私の座席ではありませんでした。若い女性が恐る恐る、そこは私の席ですと、なぜそこに座っておるのだお主ジャパニーズかなどと申してきまして、どうやらチケットには指定された座席番号が書いてあるそうなのです。
チケットのどこに座席番号が書いてあるのかわからなかった私に、親切なその女性は懇切丁寧に教えてくれました。1番列車から11番列車くらい違いました。oh。
やっと自分の座席を見つけ、腰を据えて落ち着くことができました。ここから、長い列車の旅が始まります。
途中、乗り換える必要がありますが、そこそこの時間を列車内で過ごします。
みな、各々の過ごし方で車内の時間を過ごしています。タッパーに入れてきたサンドイッチとぶどうを食べている夫婦。二席分使って豪快に寝ているヘッドホンをつけた若者。パソコンカタカタしているビジネススーツ姿の紳士。スマホの充電コードをもってないかと歩いて聞いて回っている若者...。
私はというと、たまに何かを食べて飲む以外は、ほとんど寝ていました。だって窓の外の風景がずっと同じ、オリーブ畑か葡萄畑なんですもの。飽きてしまって。
前日にカスカイスの浜辺で小一時間、昼寝した結果の顔面の日焼けがひどいことになっていたのを覚えています。顔が真っ赤のジャパニーズは車内でかなり浮いていたことでしょう。いいのです、旅人はその地で浮いているから旅人なのです。
食っちゃ寝、食っちゃ寝していたら、乗り換え駅のシルヴェスという駅に着きました。
小さな駅でした。ちなみに、トイレは写真の左側、反対側のプラットフォームにしか無かったです。反対側にいくには写真の中央に見える歩道橋みたいなところを通っていくしかないのでトイレに行くなら乗り換え時間に注意です。
しばらく待っていたら、また、落書きだらけの列車が来ましたのでそちらに乗ります。
この列車内では自由席でした。真向かいに、ばかでかいスーツケース4つをもった眼光鋭い黒人のおじさんがいて、こちらをじっと見つめているので一応ほほえんでみたのですが、さしたる友好の印は返していただけませんでした。
この辺りから暑くなってきます。ああ、南に来たんだな、と。ラゴスはヨーロピアンにとってのリゾート地としても有名な地です。
そんなこんなでラゴス駅に着きました。ザ・リゾート地、といった風情で、沖縄の空港降りた直後みたいな空気感でした。列車も終着点、ユーラシア大陸最西南端の駅だとかで車止め?列車止め?みたいなのも写真に残っていますね。鉄オタの友人に写真を送りました。
駅を出ると、旧ラゴス駅がありました。ちんまりしていて可愛らしいですね。
地図を見るとわかるように、駅を出て、ショッピングモールを過ぎて歩いていくと、マリーナがあります。
うわあ、リゾートだ。と思いました。なんせ、曇り空のリスボンから来たばかりの私、シャツの上にセーターを着て、上着も羽織ってました。暑いのなんの。ついた途端に汗だくです。
そのまま歩みを進め、とりあえずラゴスにて滞在するホテルへと向かいます。あくまでサン・ヴィンセント岬へいくことが目的ですが、ラゴスには3泊します。その後は長距離バスに乗ってスペイン入り、セヴィリヤへと向かう予定です。
着膨れて汗だくのまま、マリーナの橋を渡ります。
途中のスーパーマーケットに立ち寄り、サンドイッチとか水とか、なんか美味しそうで安いものを買います。
今回ラゴスで泊まったのは、Hotel Montemarという名前の、ラゴス駅からは少し離れた場所にあるホテルです。シーズンオフなので安かったのです。
今Google検索したら三つ星ホテルって買いてありますね。その割にはかなり格安で泊まれた記憶があります。ドミトリーとほぼ変わらない値段だったかと。シーズンオフのリゾート地は確かに街全体として人も少なかったので、もしかしたら卒業旅行としては狙いどころかもしれません。ポルトガルのいいところ、なんでも安い。素朴。ここです。ヨーロッパのくせに安い。
ホテルに着きました。ひとりですが、なぜかベッドは2つある小部屋。バスタブもついてる!小さなバルコニーもついてる!ホテルのフロントには小さなバーもある!あとはなんてったって、朝食付き!しかもビュッフェ!なのにこんなに安い!そんな記憶があります。
ちなみにこのバルコニーに出ると、隣の部屋の人のバルコニーと接しているのでうふふな出会いとかが望めます。その逆も然りですが。vice versa。
汗だくの服を脱いで、たまった下着やらの洗濯物をじゃぶじゃぶ洗面台で洗って干して、旅の荷物を整理していたらあっという間に日暮れでした。バルコニーから日暮れを見てみましょう。
バルコニーからは海も遠くに見えます。
疲れが溜まっているのか、この後、倒れるように寝ました。
寝て、変な時間に起きて、買っておいた食糧を食べました。
6個入りの激甘パイみたいなお菓子をぺろりと平らげた記憶と写真が残っています。おいしかったです。安かったし。
夕飯を食べていると、あれ?なんだか頭痛とくしゃみと鼻水が止まりません。悪寒も小学生のように駆けまわります。
そうです、旅の疲れが出たのか、私はラゴスで体調を崩しました。
次回、太陽さんさんリゾート地ラゴスにて、寝込む。
2019/03/04〜03/19ポルトガル・スペイン旅⑥ロカ岬へ、そしてカスカイス観光リベンジ
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2019年3月8日。今日はユーラシア大陸最西端の岬、ロカ岬へ向かいます。
リスボンの街からロカ岬への行き方は複数ありますが、私は、昨日行ったカスカイス駅の近くのバスターミナルまで行き、そこから出ているロカ岬行きのバスを利用します。
電車を乗り継ぎ、バス停からバスにゆられること数時間。
画像上の青い看板、403号線がロカ岬とその近郊の街であるカスカイスとシントラを周回しているバス路線です。
そして、またバスに揺られること数時間、ロカ岬、Cabo da Rocaのバス停に着きました。
帰りのバスの時刻も一応チェックしておきます。カスカイス、シントラ、ロカ岬を周回できるチケットが15ユーロで買えます。シントラには奇抜な外観で有名なお城があったのですが、特に興味がなかったのでロカ岬と、昨日雨で残念だったカスカイス観光をリベンジする日にすることにしました。
バスを降りて、バス停から少しだけ離れて歩いていくと、こんな風景。
遠くに見えるのはロカ岬の記念碑です。
この記念碑には、ポルトガルの詩人カモンイスの詩の一編が刻まれています。
「ここにて地が果て、海が始まる。」といった内容です。
思えば遠くへ来たもんで。感慨に浸ります。
そこそこ有名なスポットなので観光客もそぞろ歩きしています。観光地なのに、そこまで混雑はしていません。そこにポルトガルらしさを感じさせられます。地味というか。
足を滑らして落ちたら、転がるおにぎりよろしく、すってんころりんで海にポシャンです。
ロカ岬の断崖絶壁、高さは140メートルくらいあるそうで、まさに崖です。
地の果て、と詩人が言うようにまさに大陸の果てに来たんだなと感じさせられる広大な場所でしたが、そんな場所でも当たり前のように植物たちが生きていました。
気の向くまま、岬の端っこぎりぎりまで歩みを進めていくことにしました。
崖の途中、座り心地の良い岩を探して、昼ごはんを食べていたらだんだんと天気が良くなってきました。青空がひろがっていき、周囲の色がはっきりと、より鮮やかになっていきます。
晴れたロカ岬は、圧巻でした。これこそが本来の岬の色なのだと思う、そんな自然の色鮮やかさが目に焼きつきます。海の碧と緑の蒼、空の青色に大地の赤。雲の白。
崖っぷちに満足して、晴れてきたのでさっき来た道を戻り始めます。
晴れている下で見る記念碑は先ほどとは違って見えます。
晴れて気分が良くなったのか、先ほどは気がつかなかったものにも目が向きます。他にも記念碑がありました。遠くには灯台が見えます。
灯台が気になったので行ってみることにしました。
道中で出会いが。
この猫が人懐っこく、見知らぬ薄味顔のアジア人にもすり寄ってきました。
私、もっと早く産まれて、灯台守りを生業として生涯を終えたかったわ。
思いもよらずネコチャンなどとの出会いもあり、自然の雄大さも満喫できたロカ岬訪問でした。
バスに乗って、次はカスカイスに戻ります。昨日の雨土砂降りで寒いカスカイスにリベンジです。この晴れた陽気なら、リゾート地として有名なカスカイスの街も、本来の魅力を見せてくれるでしょう。
バスに揺られること数時間後。
あまりに晴れたビーチが心地良かったので、しばらく砂浜で寝転んでただ海を眺めていました。
あまりに太陽が暖かく、波音が心地よく、潮風が涼しいので、このビーチで30分ほど、バックパックを枕に寝落ちしました。
その数十分だけの睡眠の結果、翌日顔が真っ赤になりました。日焼けです。
このビーチ、昨日も来た同じビーチなのですが、近くにレストランがあって、そこのプライベートビーチのような小さなビーチなんですね。そして、運良く、その近くのレストランから飛んでいるWi-Fiにアクセスすることができました。ネットがタダで使い放題のビーチです。うかつですね、ポルトガル。そこがいいのですが。
晴れた気候に気を良くした私は、ここのビーチのWi-Fiを使いインターネットにアクセスし、ゲイ向け出会い系アプリで、運良くカスカイス現地在住のゲイ男性と会う約束を取り付けました。
起き上がって、30分後に会おうというその男性に指定された場所に向かいます。
歩いて数分のところにある、別のビーチでした。
そこへウサギ(ペドロ:仮名)が とんで出て〜♪
ころり転げた 木の根っこ(ペドロの所有するベッドルーム)〜♪
頭の中で童謡の「待ちぼうけ」と「めぐりあい」が流れているままに、潮風を感じて待っていたらペドロ(仮名)が近づいてきました。サングラスをして、身長が190cm以上はある彼は、笑顔が素敵でひょうきんな顔をしていました。日本の渋谷に行ったことがあり、ゴジラを知っているとか、不動産稼業をしているとかそういう話をビーチでしました。
その話の中で、ペドロ(仮名)が持っている不動産のうちのひとつに、もともとは城の城壁だったところを改修工事してつくられた部屋があるとかで、その部屋を見に来ないかという話になりました。
わかりやすいですね。
未成年はこういう大人についていってはいけません。
私?
ひょいひょいついて行きました。
ひょいひょいついていった結果、城壁に触り、おまけにペドロ(仮名)のでっけーベッドでペドロ(仮名)の城壁(仮名)にも触ったり、一通りのことを済ませました。
詳細は控えます。
ペドロ(仮名)と別れ、夕焼けに染まり始めるカスカイスの街をぶらつき、ビーチの砂を素足で最後にもう一度楽しんだあと、リスボンの街に電車で戻りました。
ロカ岬にも行けて、晴れて美しいリゾート地であるカスカイスもリベンジできた、良い日でした。
明日はいよいよリスボンを離れ、今度はユーラシア大陸最「西南」端の岬である「サン・ヴィンセント岬」を訪れるために、ラゴスというポルトガル南の街へと移動します。
つづく
2019/03/04〜03/19ポルトガル・スペイン旅⑤「地獄の口 Boca do Inferno」へ。ずぶ濡れカスカイス観光。
前回はこちら↓
2019年3月7日。今日のリスボンは雨、時折曇り。天気はよくありません。
何をして過ごそうかなとグーグルマップを見ていると、リスボン近郊の街カスカイスの方に、「地獄の口 Boca do Inferno」という観光スポットがあることに気づきました。
地獄の口、だなんてなんだか物騒な名前です。自然風景や風や崖が好きなので、天気は悪いですが行ってみることにしました。まあなんとかなるだろうと、着るものとりあえずででかけました。
まずはリスボン市内の電車で、近郊地域への列車が出ているハブ駅、Cais do Sodre駅に向かいます。
そこから、近郊列車に乗り換えてカスカイスという、左下のはじっこの駅に向かいます。
カスカイスは海沿いの街ということで、リゾート地としても有名なんだとか。
今日はあいにくの曇り空で、リゾート感はゼロですが、レストランやホテルが多く建っていたので確かにリゾート地なようです。
駅を降りて、マップを見てみると近くに小さなビーチがあることに気づきました。まずはそこに立ち寄って海を見に行きます。私は人気の少ないビーチで海を眺めるのが好きです。
地図で見ると2つの小さいビーチがつながっているようです。
寂しいビーチで一息ついたら、地獄の口へ向かいます。
地獄の口は、カスカイス駅から少し離れた場所にあるようです。
私は海沿いを、こういうルートでいくことにしました。グーグルマップによると多少遠回りをする形となってしまっていたようです。
途中、お城みたいな建物を見つけました。
Museu COndes de Castro Guimaraesと地図では表示されています。貴族の住まいが今では博物館として開放されているようです。特に中に興味がなかったのでスルーして先に進みました。
海沿いの道、車しか通らないような道路の脇を歩いているので、だんだんと潮風が強く吹き荒れてきました。崖上のようになっていて、遮る建物が周囲に無いのです。
今日の天気の悪さに加えて、崖際の潮風で、もう風やら雨粒やらで、この辺りから、道のりを行くのが険しくなっていきました。
そんなこんなで、海を眺めながら行こ〜と気楽に考えていた結果、全身濡れ鼠になりながら強くて冷たい風に吹きさらされながら到着しました。こんなはずでは。
これが、地獄の口です。
何年にもわたって叩きつけられてきた波によって削られ、ぽっかりと空いた崖やその岩肌は自然の力強さを感じさせられるものでした。
ただ、このあたりから雨が強く降ってきていて、全身ずぶ濡れになりはじめている私としては、ふーん、くらいの感想でした。思ったより小さい地獄の口でした。
確かに、打ち寄せる波や生じている渦潮は印象深いものでした。だけれども、今は、はやく屋内に入りたい。暖まりたい。
よし、見たいものは見た。帰ろう。というか、屋内へ、どこでもいいから避難しよう。そう思いましたが近くに店などがあまり無いのです。
手持ちの現金がわずかな私はクレジットカード払いができる店しか入れません。そもそも、悪天候かつリゾート地で閑散期なせいか、開いている店がありません。
来た道を歩いて戻る頃には、雨は横殴りの強いものへと変わり始めていました。寒い。持っていた小さな折り畳み傘なんて、全く役に立ちませんでした。
よくわからないケバブ屋に入って、とりあえず濡れた髪を絞り、服を絞り、椅子に座ってじっと雨が弱まるのを待ちました。
店員さんはスリランカかどこかの出身らしく、私が拙いポルトガル語で注文したら、お前はなんでアジア人で観光客なのにポルトガル語で注文したんだ、英語でいいじゃないか、と仲間内で笑われましたことを覚えています。
そんなことはどうでもいいのです。なんてったって全身ずぶ濡れなのですから。髪なんてもうシャワー後の様相。
雨が弱まった隙を見計らって駅へと戻り、今日はもう宿に戻ることにしました。
帰路で、Airbnbの宿のホストに、ヒーターを貸してくれないかと連絡したら快諾してくれました。その結果。
そんな地獄の口観光でした。口よりも、そこにたどり着くまでの過程と帰路が地獄だったように感じます。
明日はいよいよ、ユーラシア大陸最西端の岬、ロカ岬へ行きます。
つづく
2019/03/04〜03/19ポルトガル・スペイン旅④リスボン観光と国立アズレージョ博物館
前回はこちら↓
前回の記事が長くなりましたが、同じ日の2019年3月6日に起きていることです。
同日3月6日にベレンの街を観光したあと、電車に乗ってリスボン市内へと戻ってきました。
左下青丸のベレンから近郊列車で戻ると、Cais do Sodre駅が終着駅となります。
そこから、リスボン市内の観光をスタートすることにしました。
駅を降りるとやはりテージョ川が見えます。
テージョ川沿いを進んでいくと突然、謎のアート作品に出会いました。
唐突に目の前に現れた、素朴な味わいのアート作品に首を傾げていると、どこかより象徴的なこちらのオブジェ?アート作品?にも出会いました。門のようです。
先ほどのカラフルなアート作品と比べると、こちらの謎の門のような建造物はどこか歴史を感じさせます。
地図で見てみると、名前もついており、史跡とされています。その名もCais das Colunas。
こちらのCais das Colunas カイス・ダス・コルーナス。1755年にリスボンを襲った大震災のあとに建築家であるEugenio dos Santosによって設計されました。
二本の円柱は「ソロモン王」の神殿の知恵と献身を表現しているとか。1957年にエリザベス2世がリスボンを訪れた際にも、ここから船で上陸したとされているようです。
この二本の円柱Cais das Colunasを見てから、後ろを振り向くと、大きな広場「コメルシオ広場」があります。
こちらのコメルシオ広場も先ほどの二本の円柱と同じ建築家によって、時を同じくして設立されました。
コメルシオ広場は別名「王宮の広場 Terreiro do Paco」と呼ばれているそうです。リスボン大震災が起こる前にはここにはリベイラ宮殿と呼ばれる宮殿があり、船でリスボンに上陸した身分の高い人々が最初に足を踏み入れる玄関口として機能していたようです。
広場では、撮影をしている観光客もいれば、路上演奏をしているミュージシャン、地元のカップルなど様々な人の集まる、今では憩いの場として機能しているようでした。
このコメルシオ広場から一番近い観光スポット、「サンタ・ジュスタのエレベーター(リフト)Elevador de Santa Justa」というところに行ってみたいと思います。どうやら、高いところからリスボン全体を見渡せるようです。
地図で見てもコメルシオ広場から近いですね。
このエレベータの高さは45メートル。鉄骨製のネオ・ゴシック様式で造られているそうです。設計したのはあのパリのエッフェル塔を建築したエッフェルの弟子、ルイス・レイナルドが担当したとか。
塔の内部には木製のエレベータがあり、完工当時は蒸気で動いていたそうですが後ほど電気稼働に変えられたと。
2002年には国の固定記念物として指定されたとか。
そんな歴史のある、リスボン内の低地であるバイシャ地区と、高地であるバイロ・アルト地区をつなぐ市民の足としても機能していたエレベータ。どんなもんかとワクワクしながら足を運びました。
え、なんかこう言ってはなんですがショボい。
地味です。
街並みに溶けこんでいるからか、周囲の建物と高さがそんなに変わらないからか、なんだか想像していたものよりも、なんというか、ショボい。
結局、エレベータには乗りませんでした。これに乗るためにお金をかけるより、エレベーターよりも高い場所にある「サン・ジョルジェ城」までのぼってみて、そこからの景色を楽しむことにしました。
ということで、目的地をサン・ジョルジェ城へと変更しました。
そんなこんなで、階段道の多い通りをえっちらおっちらのぼっていたら、サン・ジョルジェ城にたどり着きました。
サン・ジョルジェ城はかつて、古代ローマ時代には要塞として建設されたのがはじまりとされています。
その後、イスラム教徒、キリスト教徒などと数百年、時代の変遷と共に城の居住者も変わっていき、14世紀から16世紀にかけては歴代のポルトガル王の王宮として機能していました。
今では、城内は公園として開かれており、リスボンの街並みが高いところから一望できたり、孔雀が歩いていたりするらしいです。なぜ、「らしい」のかというと、城内に入るには料金が必要で且つクレジットカード払いができないので入らなかったからです。
我ながらケチくさいですが、公園に金払うのもなんだかな、と思ったのと、城内に入らなくても良い展望が見込めるスポットが近くにあったからです。
こちらがサン・ジョルジェ城(の近く)からの展望、リスボンの街並みです。
ここでしばらくリスボンの街並みを上から眺めていたら、横にいた男女カップルが「あそこの中国人、ひとりで来てるわ、プププ(笑)」みたいな会話をしていました。周囲にアジア系の人がそのとき居なかったので間違いなく、私のことです。指で目を引っ張って細くして、いわゆるアジア人を揶揄するあのテンプレジェスチャーもしていました。
英語なら伝わらないとでも思ったのでしょうか。こちとら英語ならペラペラ(仮)じゃい。中国人じゃなくて日本人だし、舐めてんじゃねえぞこの野郎。
ヘテロセクシュアル同士、白人カップルでprivillageまみれのくせに、などと色んな感情が湧いてきましたが、何もせず、黙ってリスボンの街並みを見ていました。私は無力です。人間って...。
独りのゲイのアジア人の旅人にも、テージョ川の湿り気と香りをわずかに帯びたリスボンの空気は優しく、あたたかでした。
さて、次なる目的はアズレージョ美術館です。ポルトガルはアズレージョで有名なのです。
アズレージョAzulejoとは、いわゆるタイルのことです。
青色のタイル装飾で有名で、「青」を意味する「AZUL」からアズレージョ、という名前がきている噂ですが、このwebページによるともっと昔から、様々な地と文化を経由してアズレージョという言葉と文化ができたようです。
リスボンには、そんなアズレージョをメインにしたアズレージョ美術館があると知り、行ってみることにしました。私は美術館や博物館が好きです。
その名も「国立アズレージョ美術館 Museu Nacional do Azulejo」。
リスボンの中心地からは結構離れた場所にあります。バスの停車場が美術館の入り口近くにあったので、もし行かれる場合はバスを使うといいかと思われます。ケチな私はリスボン中心地から徒歩で向かいました。結構、遠かったです。
こちらの国立アズレージョ美術館、もともとは、16世紀に建設されたマドレ・デ・デウス修道院を改築した建物らしく、アズレージョの展示とは別に礼拝堂も残っています。カフェなども併設されていました。
中に入ってみましょう。
説明がポルトガル語だったので理解に時間がかかりますし、一部わからないものもありましたがアズレージョの歴史や、作り方、種類の豊富さなどは知ることができました。
タイル、と聞くとのっぺりした平たい印象を受けますが、アズレージョは凹凸も効いた芸術作品の形をとっているようです。真横からみたときと、斜めからみたとき、正面から見たときで印象が変わるのがアズレージョの魅力のひとつと言ってもいいかもしれません。
私の好きなポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアを描いたアズレージョ作品も展示されていました。
ペソアは作風も独特です。好きな彼の作品の一部を引用しますね。
"わたしは痛ましい思いで" by フェルナンド・ペソア(池上岺夫訳)
わたしは痛ましい思いで星々を眺める、
はるか遠い昔から輝いて。
はるか遠い昔から......
わたしは痛ましい思いで眺める。
事物は
それがどのようなものであれ
疲れることがないのか、
脚や腕が疲れるように。
存在することの疲れ
在ることの疲れ
ただ在ることの疲れ
淋しい存在は輝くか それとも微笑んで......
存在する事物にとって
在るのは
死ではなく そう
別種の終末ではないのか
さもなくば大いなる理由ー
なにか赦しにも似た
なにものかではないのか。
アズレージョの展示も十分見応えのあるものでしたが、前述の通り、もと修道院だった建物ですので礼拝堂があります。
意外と、その礼拝堂も見応えがありました。アズレージョ細工も見事です。
金の装飾が凄みを増幅させていますね。
青と白のアズレージョと、金色の装飾と石造りの床や柱がマッチしていて、こんな意外なところにこんなに豊かな礼拝堂が残っているとは、という感想です。
展示品だけでなく、礼拝堂も見応えのある、良い美術館でした。おすすめです。
併設のカフェでコーヒーを飲んで休憩しました。
もう夕暮れです、カフェで休憩しながらgoogleマップを見てると近くにスーパーがあったので、自炊用の食材を調達してから宿に帰ろうと決めました。
そんなこんなで、前回の記事のベレン観光と合わせて、1日でリスボンの街並みとアズレージョを堪能しました。良い1日の過ごし方だったと言えるでしょう。
ベレンに行ったり、リスボンのあちこちを全て徒歩で周ったので、疲れ果ててしまったのか宿に着いた瞬間に寝ました。
明日は、「地獄の口」に行って散々な目にあいます。
つづく
2019/03/04〜03/19ポルトガル・スペイン旅③リスボン近郊のベレン観光
前回はこちら↓
泊まっている宿のキッチンからの朝の眺めです。
2019年3月6日、曇り空からのスタートです。
宿の目の前にあるパン屋さんみたいなところに、イートインスペースみたいなのがあったのでそこで朝ごはんにパンとコーヒーを頼みました。
ポルトガル語でコーヒーやカフェオレを表す言い方がたくさんあるのです。
ミルクとコーヒーが半々くらいのものをMeia de Leite。ミルクの割合が多めのがGalão。
その他、カプチーノなどよく見るものもたくさんあります。
どうやら私が滞在している宿のあるエリア、そしてその宿の目の前にあるこのパン屋があるエリアは移民が多いエリアらしく、英語が通じる人があまりいませんでした。このお店もポルトガルオンリー、注文に苦戦しました。指差しと勘。しかもローカルな店だったらしく支払いもカード払い不可。現金のみでした。
今後の旅を続けていくうちに、ポルトガルではクレジットカード払いができない場所が多いことに気づくのですが、これには多少困りました。なぜか私、このスペインポルトガル周遊のパッカー旅行で現金を2万円くらいしかもってきてなかったのです。ヨーロッパの国なので、カード払いで大体のところはイケると思っていたのでうかつでした。
さて、こちらがリスボン市内の路線図です。
右上の青丸が、私の宿の最寄り駅です。その2つ左となりの駅にAeroportoという文字がみえますでしょうか。こちらが空港駅です。
そして左下の青丸、ベレン(Belem)というところを今日は目指します。
ベレンには観光スポットが集まっているらしく、それらをみた後にリスボン市内を歩いてみて回る日に決めました。
ベレンに行くためには、上の路線図の緑色路線の最終駅Cais do Sodre駅から近郊列車に乗り換えます。こちらの路線図です。
中央下の方に先ほどのCais do Sodre駅があるのが見えますでしょうか。ここが大きな中継地点となる駅です。
では、まずはこちらの列車でベレンへと向かいます。
ベレン駅、およびそのあたり、ベレンエリアはテージョ川という大きな川に面している場所です。
そうしてベレン駅を降りて、テージョ川沿いを歩いていると、ひとつめの観光スポットにたどり着きました。「発見のモニュメント」です。
その中でも有名な偉人、エンリケ航海王子の死後500年を記念して建てられたのが発見のモニュメントです。先頭に立っているのが王子ですね。その後ろには探検家や研究者など各偉人たちが列をなしています。有名なヴァスコ・ダ・ガマや、マゼランもいます。
発見のモニュメントの一体は広場になっていて、足元には大理石で作られた世界地図が広がっています。ポルトガルの航海が各国に到着した年が共に刻まれています。
日本もありました。
発見のモニュメントは内部にエレベーターがあって、上に登れるようになっているそうです。テージョ川がやや高い位置から見渡せます。
発見のモニュメントをあとにしたら、引き続きテージョ川沿いを進みます。
発見のモニュメントのすぐそばに、次の観光スポットがあります。今度は世界遺産です。
のちに向かうジェロニモス修道院と時を同じくして設立されて、世界遺産にも登録されています。もともとベレンの塔はテージョ川の河口を監視する要塞としての機能もあったとか。
世界各地を探検し、開拓していった豊かだったころのポルトガルの、大航海時代の残り香が感じられる建築物でした。
今ではポルトガルは若者の失業率も高く、観光産業も伸び悩んでいるんだとか...確かに他のヨーロッパの国々と比べて影が薄い国ですよね。
さて、ジェロニモス修道院に行く前に昼食を済ませることにしました。
さきほど発見のモニュメントを見に行く前に目をつけておいた(クレジットカード払いできますとサインがあった)食堂にきました。
こちらです。googleマップ情報によるとコロナ渦でも閉業してませんね。
メニューを見ても何がなんやらでよくわからなかったので、本日のスープ、と書いてあるものとフライドポテトを頼んだら二人分くらいの量のものがでてきて慄きました。味は美味しかったです。
テージョ川の水面が光っているのも見えて、気持ちの良い風も吹き抜けて、店員さんも英語が通じて感じの良いおじさまで、良い場所でした。
良い場所だったので食後にコーヒーも頼みました。
ベレンはパステル・デ・ナタという焼き菓子でも有名です。いわゆるエッグタルトで、カスタードクリームのパイのようなお菓子です。
コーヒーを頼むときに、店内のカウンターの上にそのパステル・デ・ナタらしきものが陳列されているのが見えて、あれも追加でお願いします、と注文しました。
すると、「あのお菓子は僕のおやつ用だからサービスするよ。」と言って、店員さんが無料でサービスしてくれました。
予期せぬキュンとくるモーメントでした。
ベレンのなかでもパステル・デ・ナタで有名なお店が一軒あって、そこにも後で寄ろうとしていたのですが、毎朝その店から買ってきているものらしく、偶然にもその店の逸品を予期せぬ形で味わうことができました。
どうしてあのおじさまは私にサービスしてくれたのでしょう。ひとりで旅してひとりで飯食ってるアジア人が物珍しかったのでしょうか。笑顔の素敵なおじさんでした。
腹と心が満ち足りたところで、ジェロニモス修道院へと向かいました。
テージョ川沿いから歩いてすぐの場所にありますのでアクセスは楽です。
一緒に写っている人の大きさから、その建物の大きさがうかがえますでしょうか。
ジェロニモス修道院は、さきほどのベレンの塔と同じく、マヌエル1世さんが作らせました。
ポルトガル初の海外進出を果たしたエンリケ航海皇子や、インド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマなどの功績を称えるために作られました。
細かな装飾はマヌエル様式と呼ばれる、ポルトガル独自のものです。ロープやサンゴなど航海に関するものや、諸国の動植物などをモチーフにした彫り物が特徴的です。
そんなマヌエル様式を最大限に生かした名所が回廊です。
ひとがいないときを狙ってこの写真を撮りましたが、世界遺産の割には、ものすごく混雑しているわけではありませんでした。
この回廊が囲んでいるのが中庭です。中庭では、真っ白いワンピースのスカートをふくらませながら、自撮り棒を持って自分を撮影しながらその場で回転している女性がいて印象的でした。
礼拝堂内部にも入っていきましょう。
礼拝堂内に少し高くなっている場所があったので上ってみました。
いつも思いますが、はりつけにされているキリスト像を写真にとる、というのはどういう心理なんでしょう。
世界遺産で観光の名所としても有名なはずなのに、そこまで人混みがひどくなくて快適でした。
発見のモニュメント、ベレンの塔、そしてジェロニモス修道院のベレン3大名所を堪能したあと、この日はリスボン市内に戻って、リスボンの街並みを観光しました。
が、記事が長くなってきて写真も増えてきたので今回は一旦ここで締めることにします。
それでは最後に。
Frangoとはポルトガル語でオカマ、とかホモ野郎とかそういう意味のスラングだったはずです確か。
違うかもしれない。
つづく
2019/03/04〜03/19ポルトガル・スペイン旅②ワルシャワからバルセロナ経由でリスボンへ
前回はこちら↓
ポーランド、ワルシャワの宿にて早朝起き上がり、寒くてまだ暗いうちに空港へ向かいました。ポーランド航空の機体に乗り込みスペインのバルセロナの空港へと向かいます。
スペインに降り立った瞬間、暑い。ワルシャワは冬みたいな寒さだったのにスペインは半袖で十分なくらいでした。
この空港から、ポルトガル航空という会社の機体に乗り換えて旅のスタート地点、リスボンへと向かいます。
搭乗時刻まで数時間ありましたが、バルセロナ市内へ観光に出るほどの時間の余裕はなく、大人しく空港で時間を潰して過ごしていました。
空港っていいですよね。誰もそこに根付いていない感じがして、とても流動的で。気楽です。
ベンチに座りながら、なんとはなしにおなじみのゲイ向け出会い系アプリを開いてみると、「Airport Fun」とか「quick toilet fun」とかそういう名前でプロフィールを登録している人がかなり近距離に数十名ほど居たのが印象的でした。
きっと、何かが起きるのでしょう。乗り継ぎの数時間の空き時間をつぶす方法として、空港から出ずに欲求を消化できる何かが、イベントがきっと起こるのでしょう。
何かはわかりませんが。ええ。私はじっとベンチに座って、Podcastを聴きながらぼーっとコーヒーを飲んでいました。
搭乗がはじまり、わらわらと人が集まり始め、列を成していきます。
ポルトガル航空だからか、ポルトガル語を話している地元のひとらしき利用客が多く見受けられます。
ポルトガル航空の機体はテレビもなく、コンパクトな機内でした。
私は旅行帰りの家族連れに挟まれる形で、ひとりで座っていました。
そこまで長くないフライトでしたが機内食で軽食が出てきて驚きました。
ケールとツナのラップサンド、チーズ、クラッカー、アーモンドチョコレート、パックジュースが出てきました。ラップサンド美味しかったです。後からわかりましたが、ポルトガル料理ではケールがよく使われるそうです。
家族連れが私を挟んでポルトガル語で会話しはじめたので、拙いポルトガル語で席を交換しようか提案してみましたが、優しく断られました。
どこから来たの?と聞かれ、日本からですよと答えたら、なにやら早口のポルトガル語で楽しそうに話されていたお母様が印象的でした。
リスボンのポルテラ空港に着いたのは3月5日の夜でした。
こじんまりとした空港ですがおしゃれで小綺麗な空港でした。どことなく全てが控えめなところもポルトガルっぽさが感じられます。
空港から電車に乗って、宿へと向かいます。
リスボン滞在中、今回はAirbnbで借りた宿に泊まりました。
駅の階段を登ると街頭が少なめであたりは暗く、宿がどこだかわかりません。
Airbnbのアプリに表示されている宿の住所を、道ゆく人に見せながら「Onde?(どこ?)」という数少ない知っているポルトガル語を駆使しながら、ようやっと到着しました。ありがとう見知らぬおばちゃん。
入るとAirbnbのホストのプロフィール写真とは違う男性が英語で対応してくれて、一通りの説明をしてくれました。キッチンとトイレバスはホストらも使うが私も自由に使っていいこと、私のベッドルームはここなこと。など。
Airbnbのアプリのチャット機能で事前にやりとりしていた人とは違う人だったので、この人はどこにいるの?と聞いてみたら、彼とは一緒に住んでいて、彼はいま仕事に出ていていないから僕が対応するよ、とのこと。
おや?
説明を受けながら部屋内を見渡して見ると、壁にかかったたくさんの写真が目に入りました。いま私に説明をしてくれている男性と、Airbnbホストのプロフィールに写っている写真の彼が仲良さそうに二人で写っている写真。イタリア、パリのエッフェル塔、アフリカのサバンナ、どっかのビーチなどで撮られた写真が、世界地図を模した作品の周りに飾られています。
おやおや?
暖炉っぽい装飾の上の棚に乗っているハートが描かれたメッセージカードの横にも写真があります。二人が南極みたいな氷河で一緒に笑い合っている写真。
もしかして私は偶然、ゲイカップルのおうちに泊まることになったのかもしれません。このとき初めて気づきました。
なんという、引き寄せの法則というか、引力というか。はるばる離れたTOKYOのゲイが値段と立地で選んだ宿のホストがたまたまゲイカップルだとは。
結局、この宿には4泊滞在したのですが、最後まで彼らにゲイカップルなのかどうか質問することはできませんでした。まあ、単なる一時的な旅人がそこまで踏み込むことでもないかもしれません。あわよくばPodcastのゲストに出てくれないかなとか考えたりもしましたが...。
もしかしたら、本当に仲の良いヘテロセクシュアルの二人が一緒に住んでいるだけだったかもしれません。
ちなみに、キッチンの棚の上には2羽のインコが飼われていました。
キッチンで皿に自分で作ったパスタを盛っていると、インコの羽毛がはらりはらりと上から舞い落ちてきて、皿を避けることに尽力したのも今では良い思い出です。
そんなこんなで、やっと旅のスタート地点に到着しました。
今夜はこのまま荷物を下ろしてぐっすり眠り、明日から観光旅行がはじまります。
明日はリスボン市内観光や、ベレン地区、ジェロニモス修道院などに向かいます。
つづく
2019/03/04〜03/19ポルトガル・スペイン旅①ワルシャワへ
2019年3月4日。私は成田空港にいました。
前日に大学の学科の卒業コンサート開催を終え、その後の打ち上げ飲み会でしこたまに酔い、2時間ほど睡眠してから二日酔いの頭を抱えながら成田空港にたどり着いたのを覚えています。
今回は大体2週間を使ってポルトガルとスペインの行きたいところを周る旅をします。
本当は卒業旅行なのでもうちょっと長く滞在・放浪したいのですが3/20に卒業式があってそれには出席しなければいけない理由があったのです。
旅の目的は以下。
・ユーラシア大陸最西端のロカ岬に行く
・ユーラシア大陸最「西南」端であり、小説『深夜特急』(沢木耕太郎著)の旅の最終地点でもあるサン・ヴィンセント岬に行くこと
・サグラダファミリアを見ること
・ヨーロッパの街並みをぶらつくことを楽しむこと
以上です。
前回の北ドイツ周遊旅行の反省を活かして、スケジュールは詰め込みすぎないようにしました。
同じくバックパックを背負ってのパッカー旅行になります。ですが、20歳になったばかりでドイツに行ったあの頃よりも成長し、22歳になって大学も卒業できた私。バイトで稼いだ蓄えもあの頃よりは多少多めにあるので前回のようにリンゴとサンドイッチだけをかじる旅をしなくてもいいのです。
それでも、出来る限り安い航空券をゲットしたいものです。
ヨーロッパに行く往復チケットはただでさえ高いものですが、私はなんとかして10万円以下におさえたかったため、今回はポーランド航空を利用することになりました。
成田ーバルセロナ(スペイン)の航空券が9万円前後で購入できました。
従って、旅程はこのようになります。
成田空港(日本)→【ポーランド航空利用】ワルシャワ(ポーランド)→スペイン(バルセロナ)→【ポルトガル航空利用】リスボン(ポルトガル)
でひとまず旅のスタート地点のリスボンに到着します。
そこから、リスボン→カスカイス→ラゴス→セヴィリヤ→グラナダ→バルセロナに戻ってくるような旅程です。そんでバルセロナからポーランド航空の帰りの航空券を使って成田空港へ戻る、という流れ。
今回は地図も載せてみました。こうして見ると、2週間で移動するにはやはり詰め込んだ旅程になっている気がします。心のもったいないオバケがすぐ出てきてしまうんです...。
ポーランド航空の機内は快適でした。機内食も美味しかったです。
独自なポイントとすれば、機体後部のギャレーがあり、そこにいくと食べ放題のスナックが用意されているところ。ポーランドのチョコレートバーばかり食べていました。ギャレーにはフライトアテンダントさんもいて、頼めばコーヒーなどの飲み物もそこでもらえます。
あと、ポーランド系のフライトアテンダントさん、男女問わず美形が多い。何故。生きるとは見た目の美醜ではないと思いつつも、つい自分ののっぺりとした顔と比べてしまいます。
機内で映画の『モアナ』を観て号泣したりしていたらトランジット地点のワルシャワ・ショパン空港に到着しました。
しょショパン生誕地ということもあって空港の名を冠しいます。ショパン、さすがです。
トランジットが長く、8時間以上あって翌日の早朝にワルシャワからスペインのバルセロナへと飛ぶため、ワルシャワで一泊する必要がありました。
空港からワルシャワ中心部は離れていますが、電車で一本でつながっています。
個室で、手軽な値段の宿がワルシャワ中心地の方にしか見つからなかったので私もこの電車に乗ります。
空港の券売機でクレジットカードが読み込まれず右往左往していたら、現地のマダムがポーランド語で助けてくれました。私が知っているポーランド後はジェンクイェ(ありがとう)のみです。
チケットを券売機で買って、電車内にある黄色い機械にチケットを挿入するとジャッと打刻される仕組みでした。
思っていたより近代的です。
ただ車窓から見られる景色は、なんだかどこかうらさびしい感じがしましたワルシャワ。
建物ものっぺりとした四角い建物ばかりが並んでいました。
ワルシャワは今回の旅の目的ではないので観光はしませんが、せっかくだから時間が許せば旧市街とか観光地にも行けたらよかったですね。
「自分で掃除する(犬の糞の処理をする)って誇り高いことだよね!」みたいな内容が書いてあると推測します。google翻訳の結果を参考にすると。
宿の門が開かなくて一悶着ありました。ブザーを押してもなにも誰も応えず、何度もブザーを押したり、門をガンガン叩いたりしていたら、中から女性が「仕方ないわね〜」みたいな顔をしながら出てきました。
"It's already opened."「開いてるわよ」といいながら中へといざなわれましたが、確かに門にはロックがかかっていて開かなかったのです。何故。
宿は個室でした。3畳くらいのスペースにシングルベッドよりも小さめのベッドが一つ、タンスと窓がある小さな個室です。バスとトイレは共有でした。
イスラエル大使館の隣にあるホステルだったのです。
ホステルの名前はTandem Warsaw Hostel。
宿について、長かった飛行機の疲れをとるべく少しベッドに沈み込んでいたらあっという間に外が暗くなっていました。夕飯を買いに行かなければいけません。
この建物、文化化学宮殿もワルシャワ名物のひとつだそうです。
当時のソ連からポーランドへの贈り物として建てられたそうで、共産圏で流行っていた重厚で高層なスターリン様式の建築が見所だとか。ただ、現地の人のなかには、この建物が残っていることを良く思っていない人もいるとか。
夕飯を調達するためにスーパーに行きました。ホステルには共有キッチンがついているので自炊ができます。
パンが一個10円とかです!この物価の安さは一体何。
写真右のヨーグルトだと思ったもの。ポーランド語が全くわからないので完全に勘で買ったらヨーグルトではなくカッテージチーズでした。食べて驚きました。人生初のカッテージチーズ体験でしたし。
悔しいのでサンドイッチとパスタに追加して全部食べました。
明日早朝にまた電車でショパン空港に行き、そこからスペインのバルセロナの空港へと飛びます。そこから今度はポルトガル航空の機体に乗り込んでやっとリスボン到着です。まだ旅ははじまってさえいないのです。
宿内のWi-FiでYoutubeにつないで、オードリーのオールナイトニッポンを聴きながら寝ました。
つづく
2017/10/04~10/11バリ島旅行⑥チャンプアン散歩道をハイキング
前回の記事はこちら↓
チャンプアン散歩道という、地元のひとがデートスポットに使ったりするハイキングコースがウブドにはあるそうなので、そこに行ってみることにしました。
高いところは好きです。風を感じられるので。
高くて、風がたくさん吹いていて、空か、あるいは海がだだっぴろくどこまでも広く続いていくような場所が、私は好きです。
普通のスニーカーで来ました。トレッキングシューズとか本格的な装備は必要なさそうな舗装された道ですが、サンダルやヒールのある靴はやめといた方がよさそうです。
地元のひとのデートスポットに使われる、という謳い文句通り、カップルがちらほらいましたね。
写真では人がいないように撮っていますが、実際は結構ひとの出入りがありました。
ヒッピー風にたくさんの布地をまとって、ビーズ飾りをたくさんつけた女性が回転している様子を撮影している男性がいたり、地元カップルが座ってご飯を食べていたり。
インスタライブ配信をしている観光客もいました。
ヨガに凝っているブラジル人の友人にこのガネーシャの写真を送ったら喜んでいました。
高台で空気も良くて気持ちの良いスポットだったのですが、曇っていたのが残念だったので後日、もう一度同じところにハイクしにきました。
高台で、風の通り道で、辺り一体は緑に囲まれていて、気持ちの良い場所でした。
人混みから避けられると思ったのですが、そこそこ有名なハイキングコースらしく、想像以上に人はいました。
ところどころ、インスタ映えスポットというか、写真撮影用スポットというか、木にブランコがつけられたりしている箇所もありました。
そういうのが楽しいひとにはおすすめです。
観光地化することはその土地にお金が落ちて豊かになることに繋がり、現地の人は潤いますが、その地のそのままの景観は失われ、外資系企業が乗り込み、開発され...すぐそういうことを考えて思考がマイナスになってくる旅人のうちの一人です私は。
そんなチャンプアン散歩道。ウブドに来たら一度は訪れてみてはいかがでしょうか。
おしまい。